フローライト
脚立から戻ってきた安形が、酷いな、と。あまりに無表情な呟きだったので俺はそれが何を指しての酷いなのか理解できなかった。大きな体がまるでそれが一部だと言いたげに脚立を背負う。
「お前の部室ってどこまでぼろいんだよ。雨漏りくらい直しておけ」
安形がさりげなく俺の鞄を端に避けた。すぐに雫は染み入る地を失ってぱたとテーブルに落ちる。
「そのうち直すからいいんだ。・・・蛍光灯はどうなの」
「配線の問題だから蛍光灯換えても無駄みたいだな。明日にでも椿に来てもらうから、あいつにもう一度見てもらえ」
「偉そうに、どうも」
元々雨の降り出しそうな校舎外から目敏くこの部屋を見つけて転がり込んできたのは安形の癖に、先程から態度は流石会長だ。蛍光灯がちかちか唸っていると活動に専念出来ないだのなんだの御託を並べてあっという間に脚立と替玉を持ってきた割に、問題は解決できないと言う。多分安形にとって蛍光灯は部室に入り込むただの口実であって初めから直す気などさらさらなかったに違いない。(きっと、窓から見えたのが俺の頭だけだったから押し入ったのだろう・・・)。スイッチもヒメコも雨脚が強まる前に返した。外はまだ夕暮れ時にも関わらず既に真夜中のそれだった。先程から光っては鳴っている雷の間が詰まってきているので本格的に帰れなくなるのは最早時間の問題だった。
「おほっ。俺たち閉じ込められたみたいだな」
「わざと閉じこもったんじゃねえの」
可愛くないのな。安形は親父臭くそうぼやくと脚立を扉の前に立てかけて俺の横に腰掛けた。隣で微かに触れる熱を帯びた体が思ったよりも大きいのに俺は完全に逃げ腰だった。安形が何も言わなくなると、定期的に落ちる雫と時計の針だけが全てとなった。不思議と外の雨音はまったく気にならない。沈黙にかまけて寝てしまってもよかったのだが、安形がじっと瞳を逸らさないのが気になってとてもじゃないがそうは出来ない。(一体何処を見ているんだ、何処を)。
「なあ、触れてもいい?」
「やだ」
「じゃあ触ってもいい?」
「おんなじだろ」
「お前の唇柔らかそう」
「・・・・・・」
「・・・好きって、言ってもいい?」
まずいと思った。完全に俺は安形の瞳に捕らえられた。あまりに無粋に人を貫くものだから、答えようがなくて真っ赤になって俯いた。すぐに安形の硬い指先が伸びて俺の顎を持ち上げる。
「・・・もう言ってんじゃねえかよ、馬鹿」
「どうせ暫くは帰れねえんだ、楽しいことしようぜ」
安形の品の悪い唇はまもなく俺の口を塞いだ。特に抵抗する気にもなれない。実際こんなことになる気はしていたのだ。(いや、本当は期待していたのかもしれない)。
熱い唾液が離れると糸をひく。それを丁寧に舐めとってから、安形は。
「あが、た」
「もう黙ってろよ。・・・好きだって、言ってんだろ」
どんどんと醒めていく無表情な色の安形。本心が知りたかった。こんな雨に隠れてしまうような上手な嘯きなんかより、たった一言の真意が知りたくて。雷が光る。雷が鳴る。安形は変わらず俺をその眼光で貫く。もう一度探るように優しい口付けが落とされる。
「あ」
部屋中の蛍光灯が落ちた。よほど真実は隠しておきたいらしい。もう安形の顔すらわかならくていよいよ熱を求めるだけになってしまった。
「嘘ばっかり」
「嘘じゃねえよ、好きだってば」
困ったように笑われた気がしたので、俺はようやく泣きだした。
(よっぽど嘘なら)(苦しくないのにな・・・)