悲しみの始まり
坊ちゃまの、遠くを見つめるようなか細い呟きに、私はベッドから出ないで何を云っているんです、と、冗談だと思いつき返した。すると、云い終わるか終わらないかというタイミングでざあああ、と、痛ましく、耳を劈くような雨音が四方を埋め尽くした。使用人たちの怒りに近い声が屋敷中にこだまする。雨だ、雨だあ! それこそ、大祖父の自慢の一品でもあるカーテンなどでも濡らしたら事である。
本当でしたね
驚いただろう
自分も使用人の一人のくせをして、随分と屋敷の騒動に他人事である。それは、多分坊ちゃまの得意気な笑顔に魅せられたからだろうと思う。ええ、とても。私も釣られて笑い返す。
お前も行かなくていいのか
・・・人の服の裾を引っ張っておいてよく云いますね、お坊ちゃん
ぱっと、今までの軽い力が解けて、坊ちゃんは照れたように俯いた。(そのまま離さないで下さったほうが、どれだけ楽だったことでしょう!)云ってしまった後悔と、安堵が、不思議混ざり合う。
気が付かなかった・・・
ええ、そうでしょうとも!
それが貴方の当たり前であるのなら、身近であるものほど、実は気が付きにくいものです。私は怖々と坊ちゃまの毛先の柔らかいくせっ毛に指を絡めた。くすぐったい、と坊ちゃまは目を細める。堪らなく愛しいと思って、そのままわさわさと頭を撫でる。
お前は、使用人のはずなのに
坊ちゃまの目が、また、遠い場所へ戻っていく。云い掛けた言葉の先は、一定量の雨に端から融けていった。
さあ、私も往きます
まずは、貴方の部屋の窓から閉めましょう。何故、分かっていたのならもう少し早く教えてくださらないのです。
誰か、雑巾を!
大きく、掌を鳴らす。雨が吹き込んで、誰かの涙のようだった。(これは、私の涙ですか、貴方の、涙なのですか?) そんな疑問すらも、雨は返してはくれない。
この雨のように、融け込んでしまって
わからない
そうして
永遠に届かないもののようで
あなたの住むのは しあわせの国 ──── ・・・