君を想う
部屋を暗くして布団に潜ると、自然と内から睡魔が訪れるのでつくづく自分の体は摂理に忠実だと思う。
静かな部屋ではアナログ時計がちくたくと音を立てる。
瞳は虚ろになり確かに体は睡眠を求めているのだが、姿の見えない奴がそれを阻害する。
( 好 き だ )
無責任だと思う。豪炎寺のたった一言。呟きが俺の意識を捉えて離さない。
( 好 き だ )
豪炎寺の言葉が耳の奥で優しく木霊する。閉じた瞳の裏側で、この言葉を囁いたときの奴がどのような優しさを滲ませていたか思い出す。優しくされれば当たり前に嬉しい。
( 風丸、お前のことが )
そこで重ねた唇の感覚を忘れたくなくて、俺は必死に記憶を集中させる。豪炎寺はいい。ただ好きだと言うだけ。ただキスをするだけ。だけど本当に答えを出すのは俺の方だ。言葉にするのも行動するのも。
(俺はお前を好きになっていいの?)(人を愛してもいいの?)(愛されていいの?)
豪炎寺の言葉が、キスが、繰り返し俺の中で反芻される。胸が痞えて苦しい。もう全てを閉め切りたかった。
( 好 き だ )
豪炎寺の言葉はそれ以上でもそれ以下でもない。
「何、寝不足?」
松野のちょっとした含み笑いに一瞬むっとしたが、すぐに取り直してそうか、と笑顔だけは人一倍に返す。
「だって、目の下の隈、」
「ああ…最近寝つきが悪いんだ」
風丸ってすぐ眠れそうな顔してんのにねー、と言いつつ松野はくるくるとシャープペンシルを回す。そうして落としそうになったペンをキャッチする。と、目の前の数式をすらすらとまるで始めから答えを知っているように書き出すのだから問題だ。
俺は開いていた空欄を待ってましたと書き写す。松野のいいところは短期決戦なところだ。一度書き始めるとまずミスはない。当てられるとわかっているときは特に助かる。
「ホットミルク飲むと眠れるよ」
「俺、甘いのダメ」
へえ、と松野がペンを止めた。丁度俺が当たる問題の手前だ。あ、と一瞬プリントから顔を上げた俺と松野の視線が交差する。松野は意地が悪い。にたあと笑ったと思ったらまた書き始めたので俺はほっとした。俺が書いた回答と松野の回答は一致している。
「甘いもの好きなんだと思ってた。よく円堂と一緒にいちごみるくとか飲んでるから」
「あれは円堂が好きだから俺も飲んでるだけ」
「あーあ出たよ風丸の円堂贔屓」
松野に突っ込まれて俺は苦笑した。俺のいけないところは人に指摘されるまでそれが贔屓だと気がつ無いところだ。無自覚は恐ろしい。
(無自覚…)
不意なところで豪炎寺を思い出して俺はさっと表情を曇らせた。
「悩み事? あるなら相談しろよ。俺じゃなくても、豪炎寺とか、いるだろう?」
豪炎寺の名が真っ先に出てきて俺は動きが鈍る。ああ、豪炎寺ね。俺はそう答えたつもりだったけれどうまく発音出来ていただろうか。喉が掠れて痛い。
丁度そこでチャイムが鳴った。
(昼、か…)
「やっとご飯だ。この後も数学だと思うと落ち込むからご飯で元気つけないとなー…風丸?」
松野がシャープペンシルで俺の肩を刺した。ちくっとした痛みで俺は我にかえる。昼は出来れば迎えたくない時間の一つだった。
「あ、お前給食当番だっけ」
「そうそう…いかなきゃ」
わざと大げさな音を立てて俺は席を立ちあがった。ホールからワゴンを取って来るのも当番の仕事だ。当番はクラスの班分けで持ち回りだ。その時間だけは各クラスの当番が一斉にワゴンを求めて集う。今週は円堂、俺、そして豪炎寺が当番なのだ。
(会いたくない、ような)(会いたいような?)
「風丸!」
既に円堂だけが割烹着で廊下にいて集団の中で目を引く。声を掛けられる前から円堂を見つめていた俺は、名前を呼ばれたことでまるで犬のように笑顔で駆け寄った。
「円堂! 白衣は教室の中だけって決まってるだろ」
「えーだってめんどくさいじゃん、なあ、豪炎寺」
円堂の横に腕を組んで立っていた豪炎寺に円堂が話しかけた。俺は緊張気味に視線を豪炎寺に移す。豪炎寺は無表情でそうかもしれない、と答えた。俺はその声にほんの少しだけほっとする。視線を向けても返しては来ないその豪炎寺の冷たさに、やはりあれは勘違いだったのだと言い聞かせることが出来るから。