不器用な人
寝ているのか起きているのか。真面目なのか不真面目なのか。とにかく机に伏せてはいるものの、緩い感じに手はあげていた。担任もわかっていたようで、ふん、と言った感じに鼻で笑う。俺はその担任の態度にちょっとばかり不満があって、何かを言おうとしたら教室がざわめいた。
もう一人挙手したのだ、今度は俺の目の前の席の男が。
「それ、俺です。明らかにへーすけの字とは違うでしょ。替え玉したんだよ。あんたそんなのもわかんないのか、」
鈴木はそこで言葉を切ったが、その後に何が言いたいかなんてその場にいた全員がわかっていた。
「鈴木くん、別に奴を庇うことなんてないん」
「お前、本当に俺とへーすけの字の違いもわかんないなら今すぐ先公なんかやめちまいな」
担任はぐっと拳を固めた。殴りに来るなら俺が止めに入ろうととっさに席を立ったが、その時ちょうどチャイムがなって、どうしようもなくなった担任はそのまま拳を下ろした。
「後で職員室に来るように」
授業はその一言でお開きとなった。俺もへなへなと腰を落とす。
「おい、へーすけっ!」
すぐに平介の元へ駆け寄る鈴木を俺は黙って目で追った。
「すずきー、お前かっこいいのなあー、」後で菓子やる。平介のその一言に、ほんの少しだけ頬を染めつつ拳をぶつける彼を、俺はただひたすらに不器用な人だと思った。
(不器用だけど、)(きっと彼は…)(素敵な人だ)。
簡単だった。恋に落ちた。
「でさ、」
俺が口をもぐもぐさせながら鈴木の方を向いたら思いっきり嫌そうな顔をされたので俺はすぐにそれを飲み込んだ。ごっくん。喉仏が食べ物を流す。
「結局あれはすずきがへーすけを庇ったの? それともへーすけがすずきを庇ったの?」
んー、どーだったけかなあ、とさして興味もないのかそう言ったっきり鈴木は黙ってしまう。本当はどうだっていいことなはずがない。だって平介のことだもの。鈴木が忘れるはずないじゃない。彼を愛しているのと同じようにまた、鈴木も平介を愛していると。(これは悲しい実感だった)。
「俺あのときさ、」
唐突に鈴木がしゃべりだす。
「マジであんな奴に殴られるんだーって思って冗談じゃないぜって思ったんだけど、体が動かなかった」
知ってる。俺は知っていた。あのほんの数秒の間に、鈴木があんなにも諦めた顔をしていたことを。(やっぱりすずきは、へーすけを庇ったんだろう)
「俺、お前を助けたかった」
項垂れるようにそう呟くと、鈴木の持っていたコッペパンで頭を叩かれた。胡散臭そうな顔で俺を見つめる鈴木。
「ずるいよ、お前。そんなこと言って俺のこと助けてくれたことなんかねーじゃん」
俺はうっと言葉に詰まった。確かにその通りなのだが、言われるとなんだか情けなくて。(そうだ、)(俺にへーすけに喧嘩を売る勇気はない)。
「…早く、助けてくれよ」
風に吹かれて鈴木の髪の毛がさあさあと揺れる。あの時から、俺は鈴木に恋をしたままだ。
(そしてすずきもへーすけに恋を…)。
コンクリートの上に置きっぱなしの携帯がブブブ、と震えた。鈴木の携帯だ。開きもしない癖にへーすけだ、とコッペパンを咥えながら鈴木は言った。
「迎えに来てってことかな?」
「じじせんせーの説教長えからな。昼飯持ってかねえと拗ねるぞ」
俺たちは広げた私物をまとめて立ち上がる。んー、と伸びをした鈴木がふいに振り向いて、俺に笑顔を向けた。
「俺さ、あの時お前が立ち上がってくれて、嬉しかったよ」
ありがとう、って。(そんなんずるいのは)(すずきじゃないかあ…!)
すぐに表情を消した鈴木は俺に笑顔を向けたことなど忘れたように歩き出す。俺も慌てて追いかけるが、(こんな赤い顔どうしたらいいかなんて知らないよ…)
鈴木はようやく携帯を開いた。その時のほんのちょっと嬉しそうな顔を、俺はやっぱり。
(不器用だよ…、ね)(でも素敵なんだよ)