強欲
だから、笑った。
夕日の中で笑った。
嘘を吐いた。
たくさんの嘘をその子にあげた。
その子は笑って消えた。
「日向、よかったのか?」
よかったんだ。
だって、お前の。
役に立てたのだから。
透明な青というと矛盾が発生するだろうか。
それでも、そう表現したくなるほどの青空の下の屋上で、
日向は制服が汚れるのも構わず、床に寝転がっていた。
「きれーだなー」
太陽で目を焼かないように目に掌をかざしながら、空を見る。
この空は日向が生きてきた世界にも繋がっているのだろうか。
そんな事を思いながらも、日向はぼんやりとある人物の事を考え始める。
最近、笑顔が柔らかくなった気がするその人物。
その人は。
「あ、日向だ」
青の視界に誰かが侵入してきた。
「…音無」
「飲むか?」
音無は日向に缶コーヒーを差し出す。
日向は礼を言って、起き上がり、それを受け取った。
かしゅっと音を立てて、缶コーヒーの蓋が開く。
そして飲んだ。
気づかなかったが、喉が渇いていたようだ。
日向はあっという間に缶コーヒーを飲み干した。
「…大丈夫か?」
「何が?」
音無の問いかけに日向は首を傾げる。
「いや、ユイがいなくなって、お前、寂しいんじゃないかって思って…」
音無は目を細める。
音無は自分がこうなるように計画をしたとはいえ、残された人の気持ちまでは
考えに至らなかった。
今こうして、日向がぼんやりしているのも自分のせいだと思い始めていた。
日向はにかっと笑う。
「大丈夫だ」
「本当か?」
「ああ」
日向は嘘を言っていない。
日向は罪悪感も感じていない。
ただ、音無の役に立った。
満足感だけが、否、もっと、どろどろとした別の欲もあった。
「なぁ、音無」
「何だ?」
音無は缶コーヒーを一口飲む。
「お前、直井と付き合っているのか?」
「ぶっ!!」
音無はコーヒーを噴出さないようにするのが精一杯だった。
「なななな、何の事だ!?」
「とぼけんなって、最近、お前、よく直井といるし」
「それはその…そう!!あんまり催眠術を使うなって警告しているだけで!!」
「弁当、作ってもらっていたじゃん」
「それはその…そう!!俺の食生活が偏っているから直井が気を遣ってくれて…」
「…そういうのを付き合っているって言うんじゃないのか?」
しくりと日向の胸が痛む。
あの子が消えた時にも感じなかった痛みだった。
音無はため息を吐く。
どうやら観念したようだ。
「他の奴らには内緒だぞ。日向…」
「つまりお前は”これの人”だったと」
日向は頬に手をかざす。
「ちが!!…あ、えっと、そう!!そうだったんだよ!!俺、実は”これの人”なんだよ!!」
音無も頬に手をかざした。
音無は力なく笑った。
直井の性別は直井から秘密にして欲しいと頼まれている。
付き合っている事はバレてしまったが、その秘密はなんとしてでも死守したかった。
ある種の烙印を押されてしまったとしても。
「じゃあ、音無…直井とどこまでしたんだ?」
日向はしくりしくりと胸を痛めながら、問いかける。
口調が厳しくなっているのを日向は気づいたが、音無は気づいていない。
「あ、えっと…その…」
音無は顔を真っ赤に染める。
「手は出していないと…」
「いや、その…き、キス…しているくらい…」
「お前、欲求不満じゃないのか?」
「言うなーー!!」
音無の目から涙が滝のように零れる。
音無は直井に色々な事がしたかった。
だが、もし直井が満足して消えてしまったらと思うとそれ以上の事は出来なかった。
矛盾だった。
天使と結託して、仲間たちを成仏させようと奮闘しているのに、
直井だけは消したくなかった。
音無は小さくため息を吐いた。
「なぁ、音無…」
「ん?」
「…俺が…解消してやろうか?」
「何を?」
「お前の欲求不満」
「…えぇぇぇぇぇ!!」
音無はずざざざっと後ずさりをしようとする。
だが、その前に日向に肩を捕まれていた。
「ちょっと待て、日向、俺は…」
「お前、”これの人”なんだろ。だったら、いいじゃん」
「いや、それは…その…って、日向も大切な人がいるじゃないか!!そんな事…」
「俺はお前の役に立ちたい」
それは偽りの無い気持ちだった。
「いや、その、やっぱりいいから…」
「遠慮するなって、コーヒーのお礼」
「日向…そんなのいいから…離してくれ…」
「嫌だ」
日向の顔が音無の顔に近づいていく。
「日向…駄目…」
もっと。
「…日向」
俺の名を呼んで。
「ひ…な…た」
お前を俺のものに。
日向の唇が音無の唇に触れようとした時だった。
音無の口から零れた。
「あやと…」
日向がぴたりと止まった。
何でだ?
最初はあんなにも嫌がっていたくせに。
どうして、そんなにも、好きなんだ。
直井の事が。
俺の方が先にお前を見つけたのに。
「冗談だよ…」
「あ…」
日向が音無から離れる。
日向は俯いていた。
音無は日向の表情を読み取れなかった。
「んじゃ、俺、行くわ」
「日向!?」
音無が日向に手を伸ばす。
日向はその手を取りたい衝動を抑えて、屋上を出た。
「な、何なんだよ…」
残された音無は視界が歪んでいくのを感じた。
頬に伝うのは冷たい雨だった。
屋上を出て、1人歩く日向を追いかけてくる者はいない。
「結弦…」
いつか聞いた音無の下の名前を口にした。
日向にも雨が降り注いでいた。