ガジュマルの樹
叱る貴方が好きだった。
褒めてくれる貴方が好きだった。
心配する貴方が好きだった。
怒る貴方も、泣いている貴方も、総て好きだった。
総てを愛しているけれど、
貴方の悲しむ顔だけは、心底嫌いだった。
どうか悲しまないで。
そんな顔で微笑わないで。
いっそ泣いてよ。
運命と言う名のエメラルドは、
総ての愛を閉じ込めたまま、
二人の間で溶けて消えた。
【ガジュマルの樹】
『大好きだぞ、ツナ!』
昔のように盛大に笑って言うような、そんな立場を理解してない幼い俺はもう居ない。
貴方はボンゴレの十代目で、俺はヴォビーノのヒットマンだ。
昔のように騒がしく貴方のもとへ訪れる事は、もう出来なかった。
ボンゴレとヴォビーノは数年前から敵対している。
俺は貴方を殺さなければならない。
昔のように、純粋に愛を囁く事など許されないのだ。
身の程をわきまえなければ。
いち、弱小ヒットマンとゴッドファザーの名を受け継ぐ彼。
決してこの想いが通う事は無い。
「いらっしゃい、ランボ」
窓からの侵入者にこの屋敷はあまりにもおとなしい。
それはボンゴレの統領、沢田綱吉が鬼神と謳われている証拠に他ならない。
書類から目を離して、こちらを向いた綱吉は柔らかく笑う。
嗚呼、なんて眩しい。
「丁度良かった、今日は凄く美味しいって評判のマスカットのキャンディを用意したんだ」
どうして笑うのですか。
貴方の情報網なら、俺が今日何をしに来たかくらい解るでしょう?
「ランボ、どうしたの、いらないの」
何も言わずにうつ向いたまま窓際に立ち尽くすランボに不思議そうに話しかければ、
ランボは少しだけ顔を上げ、前髪の隙間から綱吉を見た。
綱吉は変わらず柔らかく微笑んだまま。
「俺を殺しに来たんでしょう」
「……っ!!」
言葉が詰まった。
それは何もかもを見通した目。
その言葉に偽りなどは無いけれど、揺るぎ無い声は胸に刺さるばかりだ。
失敗すれば死のみが俺を出迎える。
こんな仕事をして生きているというのに、やはり死ぬ事は怖かった。
どうして俺はボンゴレじゃ無いんだろう。
どうして俺はこんなにも泣き虫なんだろう。
「…ランボ、泣かないで」
愛しい我が子をなだめるように、しかし立ち位置は一線を引いたまま。
切なげな笑顔には悲しみが満ちていた。
成長した逞しい手には美しく黒光りするリヴォルバー。
ヴォビーノのヒットマンは泣きながら銃を構えた。
銃口を額に突き付けられたままの綱吉は、それでも笑顔を絶やさず。
「ランボ、このキャンディね、ランボの為に取り寄せたんだよ。ランボは昔からマスカットのキャンディが大好きだったよね」
「…はい、そのキャンディ以上に、俺は貴方が好きでした」
「うん、知ってるよ。俺もお前が好きだった」
「ボンゴレ十代目、何故お逃げにならないのですか、逃げなくとも、なにかしらの抵抗はなさらないのですか」
「どうしてお前相手に抵抗などしなくてはならないの、いずれこの日が来ることは覚悟してたよ」
もちろん、この日の為に命投げ出す覚悟も。
ずっと昔から心に決めていた事だ。
お前の総てを受け入れたいんだ。
お前の為になら、俺は死さえ厭わないんだよ。
「ランボ、大好きだよ」
丸い小さな缶の中に入っている美しいエメラルドのキャンディを1つ掴み、愛しいあの子の口の中へ。
コロリと音がして、甘い香りが漂う。
涙で頬を濡らしたランボはふわりと笑った。
一線の距離は縮まった。
放つべき場所は鼓動と共に脈打つ命の源。
「…美味しいです」
「…良かった」
何を咎める事もせず、二人はただただ緩やかに微笑んだ。
彼の執務室で、一発の銃声。
笑顔のまま引いた引金のなんと重いこと。
お陰で急所を外してしまった。
重圧は貴方の魂だ。
苦しまないよう逝かせてあげたかったけれど、もう二発目を放つ勇気は無い。
「…泣…かな…で…」
腹部と口元から流れ出す紅の液体を見ながら床に倒れた綱吉を抱き締めた。
「…ラ…ボ…泣か…な…ぃで」
俺の命1つでお前が救われるのならば、惜し気もなく差し出すよ。
泣かないでランボ。
マスカットの香りが鼻孔を擽る。
「…あ、まぃ…ね…」
口腔に広かったのは血のように鉄臭くない、甘いエメラルドの果実。
紅い糸を引いて離れる唇をうっとりと見つめながら、もうすぐこの部屋に来るであろう右腕達の足音を遠くで聞いていた。
「…ツナ…」
嗚呼、その呼び方。
とても懐かしいね。
まだ幼くて、笑いあって幸せで、こんな悲しい結末を知らなかったあの頃の…。
「ツナ…俺…ツナが…大好きだ」
「…うん」
「愛してたんだ…」
「…うん」
「…愛してるんだよ」
「…知、てる…ょ」
薄れゆく意識の中で、ランボの泣き顔だけが視界を支配する。
駄目だよランボ。
泣かないで。
笑っていてよ。
昔みたいに、朗らかに。
「…泣、かな…ぃ…で…ラン、ボ…」
キャンディと同じ色彩を彩るその美しい瞳からは、同じ様に綺麗な雫。
それは綱吉の額や頬に落ちて、まるで綱吉が泣いているようだった。
「ツナ…ツナ…」
「…ラン…ボ」
そっとランボの頬に伝う涙を拭う。
血だらけの手に纏う浄化の雨。
静かに閉じゆくライトヴラウンの瞳は、最期の瞬間までランボを映していた。
「…愛…してるよ、ラン…ボ…」
その手は力無く頬を離れて、重力に従い床へと叩き付けられる。
白い手が堕ちると同時に、従順な右腕や部下達が真っ青になって扉を蹴り破り入って来た。
怒り狂った怒声と叫び声などには目もくれず、
ランボは穏やかに眠りについた綱吉をただその腕の中に閉じ込めていた。
嗚呼、俺の愛した人。
次第に俺の意識も薄れゆく。
背後から感じた無数の銃声を聞いていたけれど、今の俺には痛みなど無い。
否、貴方が痛みだ。
口の中では変わらずにエメラルドが薫る。
貴方の声が蘇ります。
未だに耳の奥で反響している。
『泣かないで』と優しく微笑む様が。
結局最期まで、俺は泣き虫のままでした。
貴方を失って、死が怖くなくなった事をとても悲しく思います。
俺には貴方だけが総てだったのに。
どうか天空の門をくぐった時、その先で待ち望む天の遣いが貴方ならば、もう一度咎めて下さい。
『…泣かないで、俺の我慢の仔…』
†END†