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折原臨也という男とキスをした

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折原臨也という男とキスをした。

キスをしたというのは少々表現がおかしい。
キスをされたというのが正しい。
しかし臨也の言い分によれば、帝人は「お姫様のファーストキスを奪った王子様」という立ち位置を与えられた。

どれだけ話や興味を逸らそうとして、柄にもなく最近噂になっているお店の話題などを口の端に上らせたりしてみても、「ところで」なんて話題転換の常套句を用いられる。
元からこの目の前の男は、自分の興味が向く方向にしか進まない。周囲もその先にしか進めないようにする。
だから諦めた。
せめてあからさまに嘆息して抗議することは忘れないけれども。

「それで、僕にどうして欲しいんですか?」
「どうって、色々だよ」
「色々って、何ですか?」
「帝人君、冷たくないかい? お姫様のファーストキスを奪っておいてさ」

人差し指を顎に当て、上目遣いで見つめられても、かわいい女の子ならともかく、一応顔の造作は整っているとは言え、年上の男にされても帝人は一歩後ずさるしかない。
それに傷ついたように男は片頬を膨らませた。ますますきもい。このままなら「ぷんぷん」とか言いながら両拳を頭にこつんこつんと当てるのではないだろうか。
帝人は想像するのを止めた。

「ファーストキスって、絶対嘘ですよね。モテる臨也さんがその歳までキスもしてないなんて、いくら僕でも信じませんよ」
「ええっ! ひどい! 俺ってそんなにふしだらに見える!?」
「率直に言って良いんでしたら、はい」
「ひどいなぁ。そりゃ、確かにファーストキスはもう終わってるけど、好きな人と初めてするキスがファーストキスって言うじゃない?」
「・・・やっぱり、臨也さんって」
「ストップ。分かってるよ。くさいって事だろ? それは分かってるけど、どうしようもないんだよ、これは。誰だって、本気で好きになった相手には何をするにも初恋のような気分になるんだ。だから、今が初恋だとしてもおかしくないと思わないかい?」
「思えません」

きっぱりと切って捨てると、臨也は大仰によろめく仕草をした。

「ひどい! 帝人君! この流れでいったら、俺が君を本気で好きになった事に嬉しさで小躍りするものじゃない!?」
「臨也さんの事は頼れるかっこいい大人の人って思ってますけど、冗談も好きな人とも思ってますし」
「・・・へぇ? 冗談じゃなくて本気だったら、大人の俺とのめくるめく官能ラブに発展してもいいと思ってるわけだ?」

ひどく飛躍させた論理に、今度は帝人も首を傾げた。

「でも、冗談ですよね?」
「・・・どうしてそこまで自信に満ちているのか、訊いてもいいかな?」
「だって、臨也さんが僕みたいなそこらにいる高校生を相手にするわけがありませんから」
「ははっ! それは帝人君が自分を卑下しすぎてて、俺を持ち上げすぎているんだ」

臨也はずいっと帝人に詰め寄る。
以前に唇を吸われた記憶が俄によみがえり、帝人はおもわず後退っていた。

「俺だってそこらにいる一介の情報屋さんだよ? 別にアラブの金持ちに見初められたとかじゃないんだから、よくある普通のラブストーリーだよ」
「普通のって・・・」

まず男同士だという事に疑問は思わないんだろうか。
なんて事を考えていたら、再び唇に唇を重ねられた。
ディープなものではなく、軽く唇をついばむほどの戯れのキス。
けれど、帝人の唇は少しだけ開かれていた。
臨也はそれを見て満足げに舌なめずりをした。

「期待した?」
「えっ!?」

舌が入ってくるのではないかと、深く深く前後不覚になるような熱いキスを待ち望んでいたかのように見られて、帝人は頬をしゅっと赤く染めた。

「き、期待なんて・・・」
「俺は期待したよ? もっとってねだってくれる事をね」
「し、しませんよ! た、ただでさえ吃驚して何も出来ないのに」
「ふふ。そう、そうでなくちゃ。普通の恋はそうだよね。普通って素晴らしいよ。些細な事で一喜一憂出来るんだし」
「それは・・・」

あなたが非日常に身を置いているからです。

とは言えなかった。
恐らく帝人は次第に彼に惹かれていくだろう。それは止められないと帝人自身が承知していた。
何しろ、臨也は非日常の住人だ。日常の住人である帝人にとっては、光に対しての闇、闇に対しての光のようで、惹かれずにはいられない。
臨也の存在は帝人の世界にいて欲しい駒だ。
もっととねだるのは、そう遠い先ではないかもしれない。

でも、普通の恋愛を臨むから自分を選ぶというのであれば、帝人は帝人から彼を排除するかもしれない。
臨也に惹かれる気持ちは確かにある。
好きでもなければ、男に何度もキスを許すほど隙がある方ではないと思いたい。
でもそれは臨也を通じた世界が自分が深奥で渇望していた非日常だからだ。

願わくば、普通の人にならないで下さい。

そう祈りながら、帝人は臨也に微笑みかけた。

「もし王子が浮気したら、姫は泡になって消えるんですよね」
「人魚姫はね。でも、王子は別の姫と幸せに過ごすんだよ。言っておくけど、姫と王子なんて、読モくらいそこらにいるのを忘れちゃいけないよ」
「それは、どういう・・・」
「まだ俺たちはどの姫か王子か決めてない。いや、決めないでいい。これは俺と帝人君の物語なんだから」

淡雪に触れるような優しい手つきで、帝人の頬を撫でていく臨也。
撫でた手をそのまま掲げて別れの合図として振った。
雑踏に紛れ込んでもあの際立った容姿は看破できそうと思っていたのは甘い見通しだった。彼はいつのまにか池袋の中へと溶け込んでいった。

「結局、あの人は何がしたかったんだろう・・・」

キスの意味も分からないまま、帝人の返事も曖昧にしたままだ。
帝人は呆然と池袋の雑踏の中で立ちつくすしかなかった。