お嫁においで(サンプル)
週末ということもあり、中華屋を出た後は当前のように今吉の部屋へ向かった。
飲み足りん、日本酒が飲みたい、という彼のために台所を借りてありあわせの物で簡単な肴を作り、グラスと一緒にリビングへ運ぶ。彼は冬でも冷やで飲むのが好きなので、燗をつける手間がかからなくて楽ではあるが、手抜きっぽくなるのが嫌で肴はありあわせでも毎度工夫を凝らして数種類作っていた。今日は鯵のおろしあえと、白菜と塩辛を蒸し焼きにしたものとゆで豆腐。ご飯を食べてきた後だといっても今吉はいつもちびちび呑みながらよく食べる。
社会人になってしばらくしてから彼はこの部屋に引っ越してきた。2LDKの、一人で暮らすには少し広い部屋。当たり前のように桜井は週末や長期休暇をこの部屋で一緒に過ごしたりしていたので、勝手知ったる、というものだ。冷蔵庫の中身も把握しているというか、むしろ桜井が管理しているというか。彼も料理をしないわけではないが、二人でいるときには完全にキッチンは桜井のテリトリーだ。引っ越すときに買い換えたオーブンレンジは、桜井の使いやすいのを選ばせてくれた。もちろん素直におねだりすることが出来るわけもなかったので決めるまでにもすったもんだしたものだったけれど。
「すいません、お待たせしました」
「お、すまんの」
ローテーブルを挟んでTVと向かい合わせに置いた、三人掛けのソファの背もたれに片腕をかけてスポーツニュースを見ている彼の前に、肴やグラスを置く。そして最近の彼のお気に入りな純米酒のハーフボトルを開ける。
「どうぞ」
今吉のグラスに酒を注ぐ。
「オマエは?」
訊かれて、いいですと小さく手を振った。日本酒なんか飲んだら小さい冷や用のグラス一杯でもう酔っ払って寝てしまう。せっかく一緒にいるのだからそんなもったいないことはしたくない。
「酔った桜井を可愛がりたいんやけどな」
耳元に顔を寄せて言われ、桜井は耳をおさえて飛び退った。
「か、かわいがるとかそういうのっ」
「なんや、ダメなんか」
つまらんのー、と今吉が子供のように口を尖らせて言う。桜井はううう、と唸って、今吉との間に少し物理的な距離をおいたまま、
「……もっと夜遅くにしてください」
と小さく答える。今吉が不意を衝かれた顔をしたあとはじかれたように笑った。じゃあ夜遅くにな、と肩を叩かれて、桜井は酒も飲んでいないのに火が吹きそうなぐらい熱くなった顔を両手で覆う。
――なに言ってるんだぼく、そんな恥ずかしいことっ。
それでもそれは偽らざる本心で。
ちらりと今吉を伺うと、もう何事もなかったかのように肴をつまみつつ酒をすすめている。平然としたその姿を見ると、自分ばかり過度に照れてしまうのがかえって恥ずかしい気がした。
――こういうの、いつになったら慣れるんだろ。
「あ、あの、どうぞ」
早くも空になりかけていたグラスに酒を注ぎ足す。
「おう。……そういえばこないだ若松から連絡があってな」
「え、久しぶりですよね」
高校時代のバスケ仲間の近況を皮切りに、話が弾みだす。そうこうしているうちに、気付けば作った肴は殆ど今吉の胃に収まっていた。
「あれだけ中華食べたのに」
相変わらずな健啖っぷりに目を丸くすると、今吉は唇の端を引き上げて桜井の頭を撫でた。
「桜井の料理はちょっとしたもんでも美味いからな。別腹や」
褒められて嬉しくて、でも照れくさくて桜井はそんな、と意味もなく指をこすり合わせる。
「レシピとかはネットで見たのだし、美味しいのは、レシピ考えてくれた人のおかげです、よ……?」
「レシピ通りに作ったつもりでも美味くならん人間もおんのや。桃井とか、あと前に聞いたことあるやろ、誠凛の――」
「あ、監督さんの話ならいろいろと聞きました」
誠凛の監督の料理は凄まじいらしい、と最初に聞いたのは桃井の情報でだったか(彼女もひどかったけれど)。その後も多方面からそんな話を耳にしたので本当だったのだろう。一応改善はされていったようだが。
「せやから桜井の料理が美味いんは、桜井のセンスのおかげや。いつもありがとな」
「ありがとうなんてそんな、あの……スイマセン」
どう返していいかわからなくて誤魔化すようについ謝ってしまう。
「謝るようなことなんかないやろ」
「いえ、あの……自分みたいなのが褒められたりとかなんて」
指をこねくりまわしつつ、照れから卑屈な言い方をしてしまった桜井に、頭を撫でていた今吉の手が止まった。
――あ……
今吉はあまりこういう言い方が好きじゃないのに。いつもそういうのは直せって言われているのに。
「――あ、の……」
しまった、と思いながら言い訳をしたら更にドツボにはまりそうな気がして口ごもる。
今吉の手が頭から離れた。暖かい体温が消えて、す、と忍び込む寒さが寂しいけれど、もっととねだれる気分でも空気でもない。
「さっきの話やけど」
作品名:お嫁においで(サンプル) 作家名:葛原ほずみ