ひとでなし
たすけて。
無意識に、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。
しにたくない。
かすれた声は、こみ上げてきた血の塊に押しのけられて消えた。ぼたぼたと地面にどす黒い染みができる。薄暗さで鮮明さを欠いた血が酷く生々しい。
涙が溢れた。血と同じくらい熱かった。痛いからか、怖しいからか、それもわからなかった。ただ、泣けた。
目の前の、薄闇をまとった悪魔が嗤った。哄笑ではなく、嘲笑でもなく、ただおかしげな、尚かつどこまでも冷徹な含み笑いだった。端正な面立ちに朱い目が、宝石のようであった。それは血の色でもあった。それでいてこの宵に似た闇の中でも自分が吐いた血より遙かに鮮やかで美しかった。そう言えば紅玉の最上級品は、鳩の血と呼ばれるのだったかと、うつろな意識で思い出した。
悪魔は誰かの墓石に座っていた。もう刻まれた文字さえ削れて消えかけた古い墓石だった。
墓標に腰掛けるとは罰当たり以外の何物でもないが、この悪魔にはそれが人間にとって不謹慎な振る舞いであるということを意に介する様は無かった。人の墓標が尊重すべきものであるという意識自体、彼には無い。そこに眠る者を冒涜してやろうなどという悪意も何も無く、丁度手頃なものがあったから腰掛けたという、それだけのことなのだ。
すうっと、背筋が冷えた。つまりは、彼にとって、人間とは、嘲笑うにも値しない、取るに足りない存在だと、いうことだ。
それは同時に、死の確信でもあった。
冷ややかな朱い目が自分を見つめた。ひたりと剣の切っ先が向けられる。
おかしなことだ、と。
確かに声と表すべきものではあるが、人間の発する声とは全く違って響く、低く暗い音が、言葉を為した。
命など惜しくないから、此処へやってきたのだと思ったが。
墓石にあしらわれた、凝った細工の十字架を背に、悪魔は嗤った。
瞭然とした死の前に麻痺した感覚は、その様を美しいと感じた。
そうしてそれきり、意識が途切れた。