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フジサワコト
フジサワコト
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カミツクヨウナ

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口唇と口唇が合わさるその前。走る痛みの示す意味。



カミツクヨウナ



「ちょい待ち!!」

夜も更け、もう間も無く日付を跨ごうかという時分、不意に近づけられた顔を思わず押し止めてしまったのは殆ど反射のようなものだった。
頤の辺りに触れた指に動きを阻まれてぴくり、東海道の形の良い眉が跳ね上がる。この男は直ぐに感情が表情に出るのだ。取り分け、警戒せずとも良いと認識している存在の前であるならば。

「……なんだ。」

不服であることを隠しもしないその口調。眇められた青みを帯びた黒曜石の双眸が咎めるような光を放つ。拒まれる可能性など微塵も想像していなかったのだろう、傲慢ですらあるその声が、視線が。愛しいと思ってしまうのだから自分も大概だと思う。気が違っているわけではなく極めて正気だ。余計に性質が悪い。

「いやさ……ずっと気になってたんですけどね?」

直ぐ間近に迫った不服そうな顔に怖ず怖ずと探るように尋ねる。

「お前、なんかキスする時必ず俺の口唇噛まねぇ?」

今は未遂だったが、このまま止めずにいた時はいつも必ずと言って良いほど立てられる歯が気になっていたのは事実だ。嫌なわけではないけれどキスというよりは噛みつかれる、という表現の方が相応しい行為に若干ながら違和感を覚えて思わずそんな疑問を口にすれば、東海道はぱちぱちと数度瞬きをした後ぷい、と顔を背けた。

「……だからなんだと言うんだ。」

どうくるかな、思いつつ待てば暫しの逡巡の後。ぼそりと呟かれたのは存外素直な返事だった。頑固な彼のこと、噛み付いてなどいない、とムキになって返されるかとも思ったがあっさりと認められてしまったことに少し拍子抜けしてしまう。明日は雨だろうか。それも悪くないかもしれない。大雨にさえならなければ特に差し支えることもないだろう。

「嫌なのか、貴様。」

なら良い、もうしない。
至極憮然とした声音のそれと同時に、意外な反応に思わず薄く笑んだまま言葉を次げずにいた山陽の反応が気に食わなかったのかぐい、と強く東海道の手が肩を押す。しようと思えば幾らでも抑え込める程度の強さしかないそれを愛しく思いながら強く、腰に絡めつけていた腕に力を籠めて抱き寄せた。逃がさないように。離れないように。

「や、嫌じゃないよ?ただ、なんでかなーって気になっただけ。」

普通にキスしてくれるだけでも嬉しいのにさ。そんな風に余計に触れ合われたら求められているような気がするじゃないか。
努めて軽く聞こえるように笑えばすい、と宵闇を切り取った深い藍のような黒のような曖昧な色合いの双眸が細められるのが見えた。試すようなそれ。自身の奥底、山陽自身が焦点を定められずにいるものを見透かしてしまいそうなほど鋭く、澄んだそれを好きだと思った。

「理由が必要か。」

呆れたように呟いて、唐突に。離した口唇が押し当てられる感触がした。薄く、でも柔く染み込んでくる熱の味。
浅い息遣いを肌で感じて目を閉じれば、ひらと光を湛える瞳と引き換えに東海道の気配が濃くなった。言葉にされるよりも雄弁に存在を語るそれに安堵して腰に腕を回せば拒まれることなくしっとり手の平に馴染むシャツの乾いた質感を強く掴む。
ぺろりと猫のように舐め、貪るように絡め、離れる。吐息を、唾液を、僅かに漏れ出る声すら飲み干そうとするかのように貪欲に口腔内へと沈みこんでくるそれに夢中で縋り付けば、長い口吻の最後、離れ際に惜しむかのようにかぷりと、整った並びをした白い歯が甘く山陽の下唇を食んだ。

ちりり、走る、痛み。

「っ、は……」

やたら巧いキスをするくせにいつも最後は息を荒くする東海道の目尻が紅に染まっているのを見るのが好きだ。自分のことだけを考えて、感じて熱を覚えてくれたんじゃないかと思えるから。
自身の呼吸も乱れているのを感じながら、山陽は塗り付けたものじゃないと確かめるように親指の腹で目元の薄い皮膚を撫ぜれば確かに、仄かに高く灯った体温が滲んだ。

「欲しいよ、いくらだって。」

理由なんて幾らあったって足りなかった。傍にいる理由。求められる理由。共に走るために在るために、幾らあったって足りない気がした。
たかがキスを重ねることだけでも、東海道が山陽に与えてくれる行為の全てに理由が欲しかった。求められている確証が欲しいのだと思う、多分。

「子供か。」

しょうがないやつだと呆れた声。前髪を掻き揚げる節ばった指があやすように瞼に掛かって、心地よくて目を閉じた。

「ごめんね。子供でね。」

そのまま抱き締める。背負うものの大きさや多さ、重さに到底吊り合うと思えない貧弱な体躯が温かくてくらくらと眩暈がする。背中を撫でる手の平は体を覆う熱とは対照的にひやり、冷たい。

「……お前は、私の口唇を舐めるのが好きだろう。」

暫くの間何度も上に下に、確りと筋のついた背を往復していたそれが不意に止まって、耳を震わせた言葉に首を傾げる。

「キスを、する時に。」

付け加えられた説明は無意識の山陽の癖を示していて目を見開いた。そうだったろうか。まるで覚えはないのだけれど。

「……そうだったか?」

「そうだ。……なんだ、わざとやっているものだとばかり思っていた。」

思わず覗き込んだ顔はきょとんと少し幼くすら見える気配。
大らかそうな見た目に反して相当に束縛したがりな男が、接吻の際に必ず残すそれはある種の所有印のようなものなのかと認識していたと東海道は告げる。余りにも自分が思考しそうな内容のそれに反論の余地はなかった。もしかしなくても考えずに、思考とは別の回路が行っていたのだと思う。決して自分だけのものにはなり得ない彼をせめて、少しだけでも所有していたいのだという欲の赴くままに。
本当に東海道は自分のことをよく見ていると思う。よく知っていると思う。或いは、自身よりも余程深いところまで。

「……まあ、うん、それで?」

「舐めるのはお前と同じになってしまうから、何となく癪だと思ったんだ。」

だから噛み付くことにした。

さも当然のように言われたその言葉に着いていくことが出来なかったのは決して、己の理解力が足りなかったからではないと山陽は思う。今の流れで何をどうしたらキスする時に噛み付く理由が導き出されるというのだ。

「……悪い、東海道。いまいち話の流れが掴めないんだけどもさ。」

もうちょっと分かりやすいようにもいちど説明してよ。
疚しい手つきで腰の辺りを円を描くように撫ぜて。ねだるように請えば自分で考えろと、ぷいと視線が背けられる。

「分かんないって。なあ東海道。」

お前の思考はほんと、時々突拍子も無さ過ぎて追い掛けきれないんだって、束縛を深くして首筋を辿れば抱き寄せた肢体が切なく震えた。

教えて。

最後の一押し、耳元で囁いて漸く届く程度の大きさで言うと、ややあって同じくらいか、更に小さい声が胸の奥から返ってきた。
微かな振動に全身が熱くなる。



わたしがおまえをほしいのだとつたえるのに、おまえとおなじほうほうではいみがないんだといったんだ。



ぐいぐいと強く額を押し付けられる感触と共にどうにか届いたその言葉に体が加熱される心地がした。
作品名:カミツクヨウナ 作家名:フジサワコト