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雨の中の青天

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「一緒に帰りますか?」

授業の終わり、たまたま時間の揃ったエーリッヒにそんなことを言われたが、悪い、とアドルフは片手を上げて謝った。
今日は帰りに、書店に寄ろうと思ったのだ。
日本の書店などに行ったところで、日本語が話せもしないし読めもしないアドルフには面白味のあるところではないのだが、欲しいのは書籍ではない。
音楽雑誌で、どうしても欲しいものがあるのだ。
インターナショナルスクールからドイツチームの宿舎まではそう大した距離はないのだが、書店を経由するとなると、多少遠回りになる。
こんな雨の日にエーリッヒをつき合わせるのも申し訳ないと思ったのだ。

「わかりました、気をつけて」

にこりと微笑んだエーリッヒと別れて、目指す書店でめあてを見つけて、弾んだ気分で帰路に着く。
雨の日に配慮してなのか、書店で受け取った袋包みはいつもと違うビニル製のもので、そういう気遣いが日本のものらしいなと、内心でそんなことに感心していたときだった。

みゃあ、とか細い声がした。

(…………?)

耳を澄ませていなければ聞き逃してしまうような、小さな小さな音だったが、

みゃぁ、み、みゃあ、

寂しさに耐えかねるような響きが繰り返し聞こえて、アドルフは足を止めた。

(……猫、か?)

辺りを見回すと、その音はどうも左手の茂みの辺りから聞こえるようだ。
そして、分け入ってみれば、ぐっしょりと濡れた段ボール箱が一つ。
ふたのないそれをのぞき込んでみると、小さな塊がもぞもぞと動いた。

みぃ、

本来ならふわふわと愛らしいのだろう小さな生き物が、雨に顔を晒すように首を伸ばして鳴いた。
子猫が三匹。
黒猫が二匹と、足下だけが白いのと。
捨て猫、というやつだろうか。
母猫を呼んでいるのか、みぃみぃとしきりに鳴き始める。
思わず手を伸ばす。
一番小さな一匹の頭を撫でてやると、精一杯の力で頭をこすりつけてくる。
もうすでに濡れてくたくたになった毛並みは、晴れた日の陽の下にあればどんなにか気持ちがいいのだろうと思った。
子猫に特有の、きっとふわふわの柔らかい感触がするのだろう。
もう一度、頭を撫でてやる。
小動物らしい、高い体温が手のひらに伝わる。
雨に濡れたのと相まって、かえってじわりと伝わるそれに、掌だけでなく胸の奥がじんとした。
こんなにか弱くて愛らしい生き物を捨てるだなんて、信じられない。

みゃあ、

一匹を抱え上げると、狭い段ボール箱の底が見えた。

(……タオル?)

段ボール箱の底には、はじめはふかふかであったのだろう新しめのタオルが敷いてあった。
もしかして、どこかの誰かが捨てられた猫を自分と同じように見つけて、可哀想に思って敷いたのかもしれない。
よくよく見れば、箱の傍には空になったプラスチックの容器がぱたぱたと雨粒を受け続けている。
うっすらと白い色の水を湛えているから、おそらくミルクが入っていたのだろう。
生き物を簡単に捨ててしまうような人間もいれば、こうやって小さな善意を施す人間もいるのだ。
自分はどちらに属したいかと言えば、当然後者に決まっているのだが、どうすればそうなれるのかと考える。
大会の間だけ日本にいるだけの自分には、この子猫たちを拾っていくというかえって無責任なことはできない。
第一、その後のことを考えずとも、そもそも忙しい自分には十分に世話をしてやる余裕もない。
しかし、空からは大粒の雨がとめどなく落ちてくる。
まだ当分止みそうにない空は、どんよりと暗いまま。
この子猫たちのこれから先の暗示のような気がして、アドルフは胸が痛んだ。
どうにもできない。
しかし、このまま離れることもできない。
このままでは。

抱え上げた一匹を、両手で顔の前まで持ち上げる。
ぶらりとぶら下がった足が不安げにじたばたともがいた。

みゃあぁ、

必死に鳴いている子猫など、まるで頓着せずに、今晩はおそらくこのまま大降りの雨だ。
せめて、それだけでも無くしてやりたい、そう思った。
そっと戻した子猫が、名残惜しそうに必死に頭を擦り付けてくる。

「すまない、な……」

連れて帰ってはやれないんだ。
伝わるはずもない言葉に、みゃあみゃあと鳴く声。
荷物の中から真新しいタオルを取り出して、箱の中のそれと入れ替える。
すでに濡れたままのものの上にいるよりは、幾分かはましだろう。
軽く体を拭いてやり、頭を撫でた。
最後に、雨粒が降り込まないように、そっと傘を差しかける。
薄い水色をしたそれは、もしかしたら青空の色のように見えるかもしれない。
子猫たちのこれからが、青空に染まるようなものであればいいのに、と願った。





傘を置いてきてしまった以上、傘なしでそのまま歩くしかないのだが、さすがに雨の勢いが強すぎる。
見つけたちょうどよい軒先でしばらく雨をやり過ごそうと思って、空を見上げた。
しかし、アドルフの期待に反して、空は相変わらずひどく暗い。
溜め息を吐きかけたところに、

「アドルフ…?」

自分に向かって投げかけられた驚きの声は、聞き慣れた仲間のものだった。
ああ、と小さく手をあげると、ヘスラーが足下に水飛沫がたつのも構わずに駆け寄ってくる。

「どうしたんだ、ずぶ濡れじゃないか」

「ああ、ちょっとな」

「傘、どうした?」

確か朝はもっていたよな、確認する声に、小さく笑った。
そういえば朝は二人で一緒に出て、今日は午後から雨だか傘を忘れるなよ、とはヘスラーに言われた言葉だった。

「猫に、」

「猫?」

「やったんだ」

「なに?」

それ以上は何も言わずにいると、怪訝そうな顔をしていたが、やがて諦めたようにヘスラーが溜め息を吐いた。

「……こんなに濡れて」

風邪でも引いたらどうする、大会はまだ後半が始まったばかりなんだぞ、とヘスラーがアドルフの頭に触れた。
荷物から取り出したタオルで頭を少々乱暴に拭われる。
自分で拭ける、と小さく抵抗すると、ヘスラーはあっさり手を離した。

「タオルもなかったのか?」

「……それも、猫にやった」

「……なんだか分からないが、仕方のないやつだな」

溜め息を吐いたヘスラーを、タオル越しに見上げると、

「早く帰ろう。体が冷えてしまう」

それこそ風邪を引くぞ、言いながら、一歩軒下から足を踏み出したヘスラーが、ほら、と傘を傾けた。
入れということらしい。
青色のそれは、確かに二人で入るにもそれなりの大きさだ。

「Danke.」

言いながら、濡れた荷物を抱えあげてヘスラーの左隣に立つと、青い傘の中だけは、まるで晴れた空のように明るかった。

「Bitte.」

軽く返しながら、ヘスラーが左腕を伸ばしてアドルフの左肩をぐいと掴んだ。

「濡れるから」

もっと中に寄れと言われて、肩先の触れ合う位置で、アドルフは小さく笑った。
ヘスラーの隣は晴れた日の陽の光のように温かい。
あの子猫たちにも、同じように晴れの日がやってくるといい。
明日はヘスラーと一緒にもう一度あの場所に行ってみようと、雨空の下の小さな晴天の中で、アドルフは考えた。





2010.6.26
作品名:雨の中の青天 作家名:ことかた