ブラックコーヒー
「帝人君はミルクと砂糖だよね」
はい、と手渡されたスチール缶。
今日も今日とて下校の途中、「偶然」会った臨也さんと帰路につく。
毎日校門の前で出会うことを偶然と言うなら、この世にはなんて偶然が溢れかえっているのだろう。
そんなツッコミは彼にとって無意味だと知っている。
用事があるからと校門を出たところで正臣や園原さんとは分かれた。
つまり、今現在、僕は臨也さんと二人で歩いている。
サンシャインシティの前は平日だというのに今日も人で溢れかえっている。
ようやく人波に飲まれることなく歩けるようになったとは言え、それは他人にぶつからない程度と同義だ。
そんな中、いつの間に自販機へ寄ったのか臨也さんの手には一本の缶コーヒー。
そして僕の手には、彼から受け取ったクリーム色に焦げ茶の英字がプリントされた缶がある。あまりに当然のように渡されてしまった。
「……」
「あれ、嫌いだった?」
おかしいな、俺の情報では帝人君の好みはカフェラテに砂糖入りだったはずだけど。もしかして今日は疲れてるからそんな気分じゃないとか?
ぶつぶつ呟いている言葉は耳に入らず、僕は金属特有の冷たさを感じさせるそれを凝視していた。
「……臨也さん、」
「ん? なあに?」
「これ、交換してくれませんか?」
そっちのと。
相手の手にある缶を指差して見上げれば、少々の疑問を一瞬瞳に浮かべたけれど、「別に構わないよ」と取り替えてくれた。
「ありがとうございます」
一言の礼を向けてから、いただきます、とプルタブに手をかける。
プシュッと小気味良い音を立てた飲み口にそろそろと口付ける。
ごく、と喉に流れ込んだ苦みに小さく眉根が寄ってしまう。隣を歩く彼に気付かれないよう、勢いをつけてごくごくと飲み干した。
「…ごちそうさまです」
口元を伝う雫を手の甲で拭いながら臨也さんに視線を移すと、ばち、と目が合った。
飲み口を含みながらこちらに流した視線が、きれいな弧を描く。
「ねえ、帝人君」
にっこり、という形容詞をつけて笑う臨也さんは危険だ。
そんなことを思うや否や、形の良い唇が僕のそれに触れた。
「ん…!?」
触れるだけだと思ったのに舌で入口をこじ開けられる。
ここが人口密度の高い往来だということを忘れているのだろうか。……否、気にしないだけだ。
慌てる僕を置いてけぼりにしてぬるりとした粘膜が咥内を伝う。瞬間の後、少量の液体が流し込まれた。
思わずごくりと飲み干した僕に満足げな表情を浮かべると、束の間の口付けは細い糸を引きながら離れていった。
「…っな、ななな、なにするんですかッ!!」
「何って、んー、お駄賃?」
これくらいいいじゃない、減るもんじゃないし。
平然と言ってのけた相手に「減ります」と抗議するのも馬鹿らしい。もっと馬鹿なのは、今の口付けを嫌だと感じなかった自分自身だけど。
「そんなに背伸びしなくてもいいのにねえ」
口の端を上げた笑み。頬に朱が差す熱さを感じる。
「……わかってたんですか」
少しでもあなたに追いつきたいと願う、この気持ちに。