インザレイン
黙々と空調のあまり効かない生徒会室で職務をこなす。以前は一人でやっていたがいつからか直井文人が副会長に就任してからは大分かなでの分も減った。かなでが生徒会の仕事をするのは誰かに幸せになってもらいたいからだからいかな激務であろうと苦になどならないけど、楽であることに越したことはない。それにすすんでやるということは当然直井はそれをやりたいのだろう。やりたいことを邪魔するのは、かなでの趣味じゃない。
たん、と自分の分の書類を纏める。本日の業務は終了だ。直井はまだやっている。彼はいつも仕事を終えるまで帰らない。それを尻目にふら、と立ち上がって部屋を出る。
廊下を歩く。空気中の水分が靴の裏にも張り付いて歩いた後に跡を残す。これもあまり好きではない。見た目が衛生的じゃない。また、誰かが掃除をしてくれることだろう。誰もしなかったら後で自分がするだけだ。
渡り廊下は暗い。電気こそついているが雨のせいで外が暗いからだ。雲はどす暗く絶え間なく雨を降らす。意識せずかなでは少しばかり眉をひそめて外を見遣る。はやく止まないかしら。自分にも聞こえない程小さく呟いた。
雨の日の構内は驚く程に静かだ。普段騒がしい一般生徒もどこか大人しい。静かなのはいいことだけれど皆元気がないようでそれだけは少し寂しく思う。
はやく止まないかしら。
ゆづる、と口が動く。最近寂しいと思うと結弦に会いたくなる。疲れた時もだ。かなでは天使なんて彼らに言われてるけれどそんなものではない。走れば疲れるし働けば疲れるし気疲れもするのだ。皆のためなら苦じゃないけれど、そう、少し疲れる。
結弦に会いたいと思ったはいいがそこで少し困った。どうやって会いに行けばいいかわからない。かなでの現在の人格を戦線のメンバーに知れてはいけないという話をしたから堂々と校長室に会いに行くわけにはいかない。かといって一人でいるところに声をかけることもできない。かなではそういうところが不器用だから人に見つからないように話しかけるなんてできそうにないし、第一結弦の居場所がわからないから闇雲に探すことしかできない。途中で戦線と遭遇して殺し合いを演じる羽目になりかねない。そこまで考えて、かなでははあと溜め息をこぼした。
諦めよう。案外あっさりとその結論に至る。何かして、もし結弦の邪魔になったりしては嫌だし。大人しく寮の自室に戻ってエンジェルプレイヤーでも動かしていよう。
雨が自分を邪魔しているような気持ちになってかなではなんとなく落ち込んだ。実際は自分が諦めただけだけれど、服が重いのも髪がべたつくのも空気が湿っているのも結弦の場所がわからないのも自分が不器用なのも全部雨のせいな気がした。はあ、とまた溜め息をつく。何かに抵抗してみせたくなったからあたしは天使なんかじゃないわと決まり文句を口の中だけで泳がせてかなでは玄関へと歩き出した。
広いガラス扉の向こうに見える外ではまだ雨が降っている。いつも通りに靴を履き替える。傘を手に取ろうとすると、傘立ての無数の傘越しに外にたつ人が見えた。
「ゆづる」
傘を探そうとしていた手を止め外に出る。人に見られたら、とか、そういうのは考えていなかった。
結弦は誰かと話していた。けれどかなでが玄関扉を開けるとその相手はげっという顔をして走り出した。見覚えのあるその顔は死んだ世界戦線の日向と言ったか。日向は走り様に結弦にも声をかけていたようだけれど彼はぽかんとかなでを見つめるだけだった。逃げられなくてよかった。少しそう思う。
結弦はふかい緑の傘をさして雨の中立っていた。かなでが結弦の方まで歩いていくのを待たず、彼はばしゃばしゃと走ってやってくる。
「かなで、お前、傘は?」
聞かれて気がついた。傘をさすのをすっかり忘れていた。
「忘れていたわ」
「どういうことだよ、それ」
苦笑しながら結弦は自分の傘にかなでを入れてくれた。かなではもう濡れてしまったからあんまり意味がないし、それに結弦まで濡れてしまうと思ったのだけれど、断る気にはならなくてだからかなでは結弦の優しさを享受した。
結弦は自分には優しいと思う。誰にだって優しい人なんだろうけれど、でもこうして優しくされることが嫌じゃない。なんだか体がふわふわして何もかもどうでもよくなる。
雨に濡れたかなでの頭を撫でて、結弦は笑いながら言う。
「わざわざ濡れるなんて、好きなのか?」
雨。
と。
見上げて首を振る。雨に濡れるのは好きじゃない。結弦がいたからつい飛び出してしまったのだ。その旨を訴えると結弦は何故だか顔を赤らめて反らした。
首を傾げているとわざとらしく咳き込んで彼は仕切り直すように聞いた。
「じゃあ雨は好きじゃないのか、かなで」
「……多分」
好きとか嫌いとか、よくわからないけれど結弦に言われるとそうだという気になる。結弦は何かを探すようにかなでに何が好きか何が嫌いかと聞いてくる。ゆっくりゆっくりそういうのに答えていると結弦は一つ何かしら言うごとに嬉しそうな顔をするからかなでもなんとなく嬉しい。
「雨の日は服が重くて髪がべたつくから」
「そうか」
結弦はまた、どこか嬉しそうに頷く。
「かなでは晴れてるのが好きなんだな」
「そうなのかしら」
あたしは晴れてるのが好きなのかしら。復唱するように呟いたらそうだという気がしてきた。自分は雨の日が嫌いで晴れている日が好きだったのか。人事のように驚いた。
かなでが一人そんなことを考えていると結弦は思い出したように口を開いた。
「そういえばかなで、何か用でもあったのか」
俺に会いに来て、何かあったのかと結弦は聞いてくる。かなではまた首を振る。薄く口を開いて。
「あなたに会いたかったの」