Spring Rain(サンプル)
――雨、ひどくなってきたな。
昇降口へ向かう廊下を歩きながら、今吉は窓越しに外を眺めた。
だいぶ日が長くなったとはいえ、四月の夜は早い。部活の後、現在のところ勝ち進んでいる関東大会予選の次の試合に向けてチームをどう組み立てるか監督と話し込んでいたらすっかり暗くなってしまった。話している最中に雨が降り出したのには気付いていたので、部室に寄ってロッカーから折り畳みを持ってきている。けれど小さい折り畳み傘で土砂降りの中を帰るのは確実に濡れるので少し憂鬱だ。
自分の下駄箱から靴を取り出し、履き替える。昇降口の外に出ると、先刻廊下から見たときよりも更にひどい降りになっていた。今吉の住まう学生寮は、敷地的には学校に隣接しているのだが、校舎からだと案外距離がある。少し小降りになるまで待つか、諦めてこのまま帰るか。大きく張り出した庇の下で、西の空を見やりながら、どないするかな、と小さく呟いた。
ふと、一年の下駄箱の方にぼーっと立っている人影があるのに気付いた。部活終了時間をとっくに過ぎているから、突然の土砂降りに足止めをくらったのだろうと何の気なしに視線をそちらへ投げた。
が、頼りなげに肩を窄めて、空を見上げる華奢なシルエットに見覚えがあるように思って、今吉は細い目を更に眇めて相手の姿を確認する。
「――桜井?」
それはこの四月に入部してきた、桜井良に違いなかった。
名前を呼ばれて桜井がぼんやりとこちらを向く。今吉に気付いた途端に丸い目が大きく見開かれた。
「あっ! す、すいません、お疲れ様です!」
途端に丸まっていた背を伸ばしてぺこぺことお辞儀をする。今吉は思わず笑ってしまった。
「すいませんて、別に何も悪いことしてへんやろ。何しとるん、こんなところで」
桜井は、本人に自覚があるのかはわからないが、あからさまにしまったという表情を浮かべた。そして、誤魔化すように口元を歪めて笑っているような顔を作る。
「あの、……雨が」
「ああ、もしかして傘ないんか」
それならこの雨の中出ていくのは躊躇われるだろう、と一人合点していると、いえ、あの、と桜井が更に視線を泳がせた。
「ん? 傘ないわけとちゃうんか」
今吉の問いに、ますます挙動が不審になる。
桜井は今年の一年の中では青峰に次ぐ有望株だ。中学時代の活躍も聞いているし、即戦力として期待している。当たりもキツくなる高校バスケで臆さずにやっていける度胸があるかどうかだけが不安だが、先週の試合で少し使ってみた限りではいけそうに思えた。期待している分、練習中の彼の様子もそこそこ記憶にあるが、こんなにおどおどしていただろうか。
「えっと、その…貸しちゃって」
「貸した? オマエもいるのに何で貸したん。そこのコンビニまで傘買いに行く間だけ貸してやって、戻って来るの待っとるんか?」
「いえ、そうじゃなくて、その……すぐにやむと、思いますし」
「せやったら借りてった奴が雨宿りすりゃええ話やん」
言いながら、ああ、と思った。貸したというよりは持って行かれたのだろう。それなら桜井のこの態度もわかる。
今吉は桜井に気付かれないようにそっと溜息をついた。やっかいごとは嫌いだ。主将をしているからといって後輩の面倒見がいい優しい先輩などではない。それでもこの、まだ中学生の面影が残る頼りなげな後輩を、じゃあ雨がやむまで待ってろと置いて帰るのは少し気が咎める。
「しゃーないのー……」
「す、すいません! もう少ししたらやむと思うんで、キャプテンは気にしないで帰ってください!」
今吉が困っている気配を感じたのか、桜井が慌てて言う。おろおろするその姿がなんだか哀れで、今吉は考えるより先に、広げた傘を桜井の方に傾けていた。
「ほな、一緒に帰ろか」
「えっ! え、でもあの」
「ワシは寮住まいやからすぐそこや。もし駅の方行くんやったらちょい遠回りになるかもしれんけど、ワシんとこ寄れば傘ぐらい貸したるから」
「で、でもそんな迷惑」
「迷惑って言うんなら、大事な特攻隊長候補に体調崩される方が困るわ」
「え!? と、とっこうたいちょう、って」
桜井が目をしばたたかせる。今吉は苦笑した。
「あ、ギャグとちゃうで? ワシはダジャレは言わん主義や」
「そうじゃなくて、あの」
桜井の訊きたいことなど問い返されるまでもなくわかっている。
「ああ、桜井にはまだ言うてへんからのー。新しいチームをどう組み立てるか、今日も監督と相談しとったんやけど、桜井には次の試合スタメンで入ってもらお思ってんねん」
顔を覗き込んだら、肩から斜めにかけた鞄のベルトをぎゅっと両手で握りながら、何故か泣きそうな顔をした。
「ススススタメンって! ぼく一年ですよ!?」
「一年とか、学年は関係あらへんよ」
ま、歩きながら話そ、と今吉は桜井を促した。
作品名:Spring Rain(サンプル) 作家名:葛原ほずみ