笑う、ということ
空に輝く月を見ながら、グラスを傾けていた。
髪の毛を拭きながら一歩踏み出せば、ギシッと床が軋む。
その音に、ウルフウッドは月から此方へと目を向けた。
此方の姿を見止めると、ニッと笑い。
ウルフウッドは空のショットグラスを掲げてみせる。
「たまには、どや?」
一瞬の逡巡。
ヴァッシュは眉根を寄せて笑い。
「ん……そうだね、貰おうかな」
「ほい」
「ありがとう」
手際よく酒をグラスに注ぎ、此方へと寄越す。
ゆっくりとした動作で、近くにあったイスへと腰掛けて受け取る。
テーブルには簡素なつまみ。
酒よりもつまみに手が伸びる。
それをジッと見ていたウルフウッドは、クッと笑い。
向かいに置いてあるイスへと座りなおした。
「おんどれは、ホンマに変わらんな」
「え?急に何?どうしたの?酔ってるの?」
「アホか、まだ飲み始めたばっかりや」
「だって急に君が変なこと言うから」
また、困ったように笑う。
その笑顔を見て、ウルフウッドは顔色を曇らせる。
「ったく……初めて会ったときもそうや」
へらり、とした笑い顔。
笑っているのに、笑っていない。
どこか、遠い所に取り残されているような。
「いーっつも笑顔のクセに、寂しそうに笑いやがるっ」
グラスに入っていた酒を、一気に飲み干し。
ヴァッシュの眼前へグラスを突き出した。
吃驚して後ろへと身を引く。
「ワイにどうせぇっちゅうねん……おんどれから一線引いとるのに」
手酌で酒を注ぎ、もう一呷り。
空になったグラスはテーブルに置き、眼前のヴァッシュを見遣る。
鋭い眼光に睨まれ、ヴァッシュはへらり顔のまま固まった。
「それを突き破って構えっちゅうのか?」
「僕、そんなに身構えてた?」
頬をかきながら小首を傾げるも、依然として顔は変わらない。
ウルフウッドは短い溜息を漏らし、頭を掻く。
そして、勢いよく立ち上がり、窓際へと歩み寄る。
「また、そないな風に笑いよって。腹立つっちゅーねん」
「えぇ!?そんな事、言われても……」
置きっ放しにしてあった煙草を取り、火を燈す。
煌々と照る月に向かって、紫煙を吐き出した。
背後に突き刺さるような視線を感じ、煙草を銜えたまま振り返れば。
上目遣いに睨んでくるヴァッシュと目が合う。
「そーいう君だってねぇ……」
「なんや?」
「全く掴み処が無いし、めちゃくちゃだし、胡散臭いし」
「誰がめちゃくちゃ胡散臭い場当たり牧師やねん」
一瞬の沈黙。
眼前のヴァッシュは目を瞬かせている。
その視線に耐えられず、口を開く。
「……な、なんやねん」
「ふ、ふはっ……あはははっ」
ヴァッシュは片手で頭を抱えながら笑う。
その様子に、今度はウルフウッドが呆気にとられている。
なかなか笑いが治まらないヴァッシュ。
ウルフウッドと言えば、段々居心地が悪くなり、煙草を吹かす。
「ったく、なんやっちゅうねん」
「あ、はぅ……ごめっ、ごめんっ」
やっと笑いが治まってきたらしいが、涙が出るほど可笑しかったのか。
丁度涙を指で拭っていた。
ヴァッシュはフッと息を吐き、呼吸を整えて声を発する。
「いや、君と居るとホント退屈しないね」
「全く……おんどれはいつもそないな風にわろうとったらええのにな」
「あはは、ごめんね」
「なんで謝るねん……阿呆が」
いつもとは違う笑顔。
柔らかい、優しい笑顔。
その笑顔に、少しの安堵。
吹かしていた煙草を揉み消し。
「ほな、ワイは風呂に行って来る。先に寝ててや」
「ん?うん……って、わあっ!」
湯上りで少し乾いたヴァッシュの髪を、乱暴に撫でやれば。
乱暴に撫でられた所為で、ボサボサになった髪。
それを手櫛で梳かしながら、思い切り睨め付けられた。
ウルフウッドはその視線すら軽く往なし、ひらひら手を振りながら歩を進める。
「良い子にしとったら、ご褒美やるわ」
「いっ、いらないよ!早く入って来い、馬鹿!」
ウルフウッドは厭な笑みを漏らしながら、風呂場へと消えていった。
顔を赤くさせ、見送るしか出来なかったヴァッシュは。
背凭れに身を任せ、天井を仰ぎ見る。
そして、溜息を一つ。
「……君だって」
本当は聞こえるように言ってやりたかった言葉。
「物凄く寂しそうな笑顔、するじゃないか」
僕にだけ、それを求めるのはズルイよ。
君だって、線引きしてるじゃないか。
本当は僕だって。
出来ることなら、二人で。
笑い合いたいんだ。