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水槽でワルツを。【サンプル】

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 唸るように口から洩れた声に思わず眉根が寄って、溜息が咽喉を鳴らした。
 寝つきが悪いのもあるけれど、まだ夏には早いというのに熱帯夜めいた気温の日々が続いている所為だろう。寝不足も相俟って目覚めはたいてい、あまり良くもなかった。
 おまけに夢見も良くないなんて、呪われでもしているのだろうかと思わなくもない。
 だからと言っていつまでもごろごろと転がっているのも性に合わないのだ。
 緩々と覚醒していく感覚に、四肢にじわじわと血液が廻っていく。開け放ったままの窓から風が肌を撫でて、僅かに目許を覆い隠した。
「……寝過ぎた」
 布団代わりにしていた薄手のタオルケットを跳ね除けて重い瞼をこじ開けると、空がすでに明るくて、余計に身体が重さを増していく。ぎしぎしと痛むというくらいには急激な成長期なんて青葉にはまだ遠い話で、それでも関節は時折音を立てている気がした。
 机の片隅でばさばさと、スケッチブックが風に捲られて音を立てている。
 眩しい陽射しがカーテンの隙間から落ちてきて、ゆっくりと欠伸を噛み殺すように身体を起こすと、じっとりとした湿気に包帯を巻いたままの右手が微かに鈍い痛みを持っているような気がした。
 いつの間に寝床にもぐりこんでいたのだろうか。
 このところ真夜中にも抜け出すことが多いせいで眠りが浅いのはいつものことだったのだけれど。そろそろ昼を告げている枕元の目覚まし時計は、休日とはいえ、鳴った痕跡もなかった。
 パソコンの電源がきちんと落ちているあたりからして、無意識に寝る態勢に入ったのかもしれないと、知らぬ間に少しだけ伸びていた髪を混ぜながら頭を揺らす。枕元に置いたままの携帯電話に着信がないことを確認してから軽く背を伸ばした。
 ぱたぱたと共有スペースから聞こえてくる足音に起き上がって、軽く鏡を覗いてからカーテンを開け放つ。まだ雨季など来る気もないみたいな青空なのに、スイッチを入れた古いラジオから流れた天気予報が、不穏な知らせを告げていた。

「――あれ、起こしちゃった?」 
 タオルケットを引き摺ってがらんとした居間に顔を出すと、籠の中身を洗濯機に放りながら母親が身を乗り出してきた。出かける用意は万全とばかりに着替えも化粧も済ませているあたり、そろそろ出ないといけない時間だろうに。
 おはよう、と笑いかけてくる表情が数年前よりもだいぶ明るいような気がするのは、青葉の思い込みのようなものだろうか。最近は仕事の関係で随分と忙しなさに拍車がかかっている様子でもあったのだけれど、それでも、冷めきった家族関係を続けるよりはずっと良いのだろう。
 両親の離婚が正式に成立したのは、青葉が中学にあがった少し後の話だった。
 いつから可笑しくなったのかなんて、問い質す先は存在しなかった。
 もしかしたら初めから歯車なんて噛み合っていなかったのかもしれないし、何かのきっかけがあったのかもしれない。そんなことすら誰かが声を荒げるようなこともないくらいに、それはあっけなくまた予想ができた展開に過ぎなかったのだ。
 親権について両親の間でどんな話し合いがあったのかまでは知らなかった。
 知ったときにはもう兄が父方に残り、自分が母親についていくことは流れのように決まっていた。
 そこに青葉自身の意識が介入していないと言えば嘘になるのだけれど、考えてみればそれはあくまでも自然な結末でしかなかった。そろそろ中学に上がるか上がらないかなんてその頃合いに、家の中で顔を合わせるのは母くらいなものだったのだから。
 近所でも手に負えない不良だなんて言われるようになった兄と、仕事人間の父との間にあっては仕方がないことでもあったのかもしれない。まるで優等生のような顔をしていた自分だってその枠にとどまらないことを自覚はしていたのだけれど。
 母の旧姓にあわせて苗字を変えて、住処を変えて、学校を変えて。
 新しい生活がすべて順風満帆というわけでもなかったものの、二人きりの生活はもう日常になって久しい。手探りのように変化していった生活は、青葉にとってはそれなりに居心地の良いものでもあったし、それが母にとってもそうならば別段言うことはなかった。
「……はよ、ごめん寝てた。洗濯やっとくから置いといていいよ」
 子供が二人もいるようには見えないと誰もが口を揃えるような彼女は、最近になって益々その雰囲気を増している。高校生とは思えないと誰にも口を揃えられるくらいに青葉の風貌が幼いこともあって、並んで立っていても「若いお母さんね」なんて、然程不思議がられることはないのだけれど。それでもきっと、自分の友人たちも軽く目を見張ることだろう。
 手から籠を浚うように引き上げると、微かに不服そうに口許を曲げてくるのが妙に自分の幼い頃に似ているような気がした。
「休みくらい寝てていいのに、怪我だって治りきってないんでしょ?」
「もうだいぶいいって。そろそろ準備しないと遅刻するよ、今日も仕事だろ」
 女手一つで育てるなんて、言ってしまえば簡単なことのようで、そう容易い話でもないのだろう。
 それでも、やりたいことを見つけたのだろうか。働きに出るようになった母は少しずつ変わっていって、最近では連日忙しそうに走り回っているくせにひどく楽しそうでもあった。
 自然と、炊事洗濯を中心とした家事の大半は青葉の担当になったのは二人で暮らしてすぐの頃だ。
 元々、それなりに器用だというのもあったし、家の手伝いを率先してやっていたのが功を奏したのだろうか。手探りで覚えていったのは確かでも、数年経って馴染んでしまえば苦痛でも何でもなかった。えらいね、なんて言われても言われなくても、それはただ必要に迫られれば誰もが覚える程度のものでしかない。
 親戚の誰もが口を揃えるような「良い子」でも何でもないのだ。
 ただ反抗するよりは従順でいる方が楽なのだと知っていると、言ってしまえばそれまでの話だ。
「ほら、シャワー浴びるついでだし」
 いいから、と続けながら代わりに洗濯機のスイッチを入れて、脱いだ寝間着代わりのシャツもタオルケットもいっしょくたに放りこむ。
 生意気な口のきき方をしても、男の子っぽくなったわねえ、なんて口癖のように笑うだけだと知っている。別に期待に応えようとしているわけでもないのだけれど、それは染みついた青葉の癖のようなものだろう。ふんわりと表情が穏やかに笑みに染まるその瞬間に弱いのだ。
 ひらひらと追い出すように手を振って追い出すと、はぁい、なんて肩を竦めるようにくすぐったそうに笑った少女のような声が弾んで聴こえた。