Twinkle Twinkle
部屋の扉が開いた。
音もなく、そして、扉を開けた主が見当たらない。風のせいだろうか。
ドアを閉めるべく熱っぽい身体を起こすと、こどもがフランシスを見つめていた。アーサーが背丈よりもあるドアノブを両手につかんで、ドアの隙間からこちらをみていたのである。部屋の中へ、裏庭のスイセンのかおりが忍びこんでくる。ちいさな訪問者が立っているドア越しの窓には、ラベンダーから深い紺へと塗り替えられゆく空が冴々とそこにあった。
「フランシス、おまえ、もうねるのか?」
ねむいのか?アーサーが重たい頭をひだりへ傾ける。こどもの瞳というのは、なぜこういつだって懸命で、真剣なのだろう。
「うん。いま診てもらったんだけどね、ちょっとだけ調子悪いみたい、」
昨夜、通り雨に遭ったのがいけなかったらしい。
フランシスは篭った声でゆらゆら返事をした。アーサーに妙な心配をさせぬよう、語尾に笑顔を混じらせるのを忘れない。世話好きで気高い。言い変えれば、甘え下手。こういった潔癖ともいえる徹底した気遣いは、フランシスのどうにもならないくせだった。フランシスは自分の身体を掛け布団に押し込みながら横になる。卵白色の天井。まだ寒い、そう思って彼は再び跳ね起き、更に一枚、キルティングのほどこされた淡い色合いの布を足元から引っぱりあげた。
今日の水汲みはアーサーの見張り役としてついていってやれなかったし、第一、着替えはこどもだけでできたのだろうか。夕食もこの小さな召し使いひとりきりで済ませたようだ。最近になってめきめきとナイフとフォーク使いが上達したので、引率者なしで食事を摂らせた所で心配はしていない。
ただ、器用にラム肉をきりわけるまるまるとした拳を、今日も向かいの席におさまって眺めていたかった。
先程から自分の上へミルフィーユでも作るように布団を積み重ねていたフランシスをじっと見ていた幼い属国は、勇躍して部屋に足を踏み入れる。
「じゃあ、おれもねむる!」
ええ?
ねむるったらねむる!
アーサーも眠いの?
ね・む・る!
強情っぱりなアーサーの頬は、あかく熟れたりんごいろだ。合点がいった。どうやらアーサーはフランシスを案じて、空も明るい時間からフランシスの寝室へやってきてくれたらしい。
フランシスがはじめて森の奥でこのおちびさんと遭遇した頃は、お世辞にも今日の暖かく機能性にすぐれた家屋はなく、すきま風の耐えない小屋のほうが遥かに多かった。だというのに、アーサーは気温もかえりみず外で兎や小鹿、その他の誰か(フランシスにはなんとなくしか分からない、光のだまのような生き物)と走りまわっていたものだから、冬になればふたりでよくくっついていたことを思い出した。確かにふたりで眠れば暖は取れる。しかし、この優しい弟分に自分の風邪が移らないかだけが気掛かりだ。
アーサーはフランシスのベッドの足元から、布団のなかへほふく前進でやってきた。みどりごのからだのラインを模した布団のもこもことした盛り上がりは、フランシスの顔のとなりで一瞬だけ黄金色をした麦畑となって少しだけ出て、それからすぐにぷわ、だとかなんとか発しながら、アーサーになって全貌をあらわした。
「お前なぁ…うつっちゃうぜ」
渋い顔のフランシスに、アーサーは答える。
「やっぱり、かぜ!ひいてるんじゃないかよ!」
墓穴!フランシスがそう思った時にはもう、豊かな眉を吊り上げてアーサーはぷりぷりと身体を揺すって主張した。
「さっき、おまえをみてくれたあのおじさんが、あったかくしてねむるのがいちばんだって」
フランシスの懸念をよそに、アーサーは布団の中でくるりと寝転がり、生地の冷たさを楽しんでいる。ご丁寧なことに、お気に入りの兎も連れてきていた。布団に連れ込むなと何度叱っても、フランシスの生意気坊やは子兎を自分の大親友として連れ歩き、可愛がるのを止めないのだ。
アーサーが眠ったら、後々自分を案じて部屋へ様子を見にくるだろう従卒にアーサーを引き取ってもらおう。それまで起きていられるだろうか。みどりごの身体に風邪は辛い。どうかこの子に忌まわしい寒気が移りませんように。明日も伸びやかにうつくしくありますように。
ハシバミ色の髪の毛を撫で付けながら、フランシスは天使の言葉で魔法をかける。ゆっくりと、蜂蜜を垂らすように宵の明星が姿をあらわした。
作品名:Twinkle Twinkle 作家名:かおる