腕 -KAINA-
十四郎の知る坂田銀時という男は、無駄なくらい口が回る、どちらかといえばやかましい方で、そのくせ、決して自分の事はあまり語ろうとしない男だった。特に決まって口を閉ざすのは銀時自身の過去についてで、何か訊ねるとすぐにはぐらかしてうやむやにしてしまう。口が達者だからそれもまた上手いもので、毎回苦虫を潰したような表情を浮かべるのは十四郎の方だった。初めて会った時から何かある、というのだけはわかってはいるものの、それが何なのか未だに掴めていないのは、銀時がそんな態度をとっているからでもあった。本人から聞けないならば、と彼を知る人間の中で一番付き合いの長そうな彼に住処を貸し与えている、お登勢というスナックの女店主にそれとなく聞き出そうとしたことがあったが、彼女は、
「そういうことは本人に聞くのが一番早いさね」
と、はっきり言われてしまった。本人から聞き出せないからこうして回りくどいことをしているのに、とその時十四郎は思ったが、これ以上は無理だろうと察して、お登勢から聞き出すことを諦めたのだった。それ以来、ずっとタイミングを見計らって銀時に直接聞くようにしたのはいいが、以前と変わらず、ずっとはぐらかされ続けている、というのが現状だった。
それがどうだろう。
今、目の前にいるこの男は何かあったのかと思うほど自分のことを語っている。
かなり酒が入っている、という事実がそれを助長しているにしても、妙な光景だ。
「江戸に辿り着いた頃にはもう駄目かと思ったね。腹が減り過ぎてお腹と背中がくっついちゃうっていうのがあるだろ? あれホント洒落になんねーって」
「……ああ、そうだな」
おめーもそう思うだろ? と、そう聞かれて十四郎は頷いた。が、半分以上はただの相槌で、ほとんど意味を為さない。
空腹で動けなくなったことなんて十四郎も何度か経験している。近藤に出会って別に生活が裕福になったわけでもない。貧乏道場だった上に、近藤があの来る者拒まない性格だったから食べるものにはいつも苦労した。それでも、松平と知り合い、真選組結成にまで到達できたのは、近藤の人徳の為せる術のおかげだ。自分だったらきっと無理だろう。
「でもよ、意外となんとかなるもんだな。もうダメだ、死ぬんなら墓場の方がいいや、って思ってたらさ。ババアがいやがった」
ババア、とはあの銀時の家の階下に店を構えるお登勢のことだろう。呼び方が乱暴だが、銀時にとって愛称のようなもののような気がした。本人に言えばきっと全力で否定するだろうが、銀時が『ババア』と口にする時、嫌な感じは全くしない。寧ろその逆で愛情のようなものを感じる。そう、例えるなら、家族愛のような。
無論、銀時とお登勢は本当の家族ではないだろう。だが、疑似家族的な関係は十分すぎるほど理解できた。自分もまた、近藤や沖田、そして武州時代から続く仲間は家族のようなものであったのだから。
「ババアは墓参りだったみてぇでな、お供えもん添えてたとこだった。それ見たらそれまでどうでもよかったもんが途端に欲しくなっちまってよ。俺はババアに言ったんだ。その饅頭食ってもいいか、ってよ」
十四郎は黙って銀時の話を聞きながら、グラスに残っていた酒を煽った。銀時はそんな十四郎に気づいていないのか、次から次へと言葉を紡ぎ出していく。いつもと変わらない筈なのに、拭い去れないこの違和感は、きっと銀時が自分のことを話している所為だろう。決して何の予兆でもないはずだ。危惧することなんて何もないはずだ。
なのにどうしてだろう。正体のわからない不安感が十四郎を襲うのは。
それが妙に気持ち悪くて、目を細めて眉を寄せる。だが、目の前に広がる光景も銀時の口調もテンポも変わらなかった。
「そしたらババアの奴、旦那のだから旦那に聞けって言いやがった。笑えるだろ? 死人が口聞くかってんだ。でもあの時の饅頭は最高に美味かった。饅頭が雪で冷たく冷えてても体はすんげえ温ったんだ」
あれはずっと忘れらんねぇよ。そう言う銀時の顔を見ながら、十四郎は、銀時の顔の方がよほど記憶に残りそうだと思った。
だから十四郎はその疑問を口にしたのだ。あまりにも銀時はらしくなさすぎるから。
「お前、何かあったのか?」
ぴたり、と銀時が反応した気がした。だが、それもほんの一瞬のことで、それを誤魔化すかのように酒を煽った銀時は空になったグラスの底を見つめた。
「……何もねぇよ。何も、な。いつも通りだ。ババアの家賃の取り立ても、昼間にバカ騒ぎすんのも。おめーとこうして酒呑むのも、な」
そう答えて浮かべた銀時の顔は疲弊と哀愁が色濃く滲み出ていて、かけるべき言葉が見つからない。こんな顔をした銀時の顔を今まで見たことがなかった。いつも会えば喧嘩腰になる相手がこんな顔をした時にかける言葉とは何だろう。考えても考えても浮かぶのは無言の沈黙しかない。
どうしたものだろうか。
視線の置き所に悩んで、十四郎は天井を振り仰ぐ。
痛んだ木目の天井。煙草やら食べ物の湯気やら入り交じった空気。
ここに流れるのはひとつの日常だ。だがその日常の中に紛れるように作為的な何かを感じる。
今、何が起きているのか。
今、銀時の周りで何が起ころうとしているのか。
十四郎は銀時の横顔を見ながら、不安を感じられずにはいられなかったのである。