呼吸をあかるく纏めておいで
店の少し奥まった席で、他の客たちからやや離れて、そのひとはひとりでもう飲んでいた。待っていてくれてもいいんじゃないかなと思うけれど、待たれたら待たれたで気持ちが悪いので、このひとはこれでいいのだろう。おひさしぶりです、と手を挙げると、や、とあのひとも応じた。
前の席について、何も考えずに生中ひとつ、という。じゃあカシスウーロンひとつ、と臨也さんが言った。あと、と串焼きのセットとモツ煮とサラダと、と勝手に頼むので、いかの刺身、と無理矢理意見を混ぜ込んだ。以上で、といってから、臨也さんは先に頼んでおいたらしい生中を流し込んだ。いいなあおいしそう。
そうしてお互いのことをてきとうに喋る。臨也さんとの会話は常に、てきとうと言えばてきとうで、いい加減と言えばいい加減だった。ふたりとも、ときどき脊椎反射のように喋る癖がある。
イカ刺しやらサラダやら串焼きやらで埋め尽くされたテーブルに、行儀悪く肘をついて、臨也さんは日本酒を飲んでいる。確か、美少年、とメニューには書いてあったはず。臨也さんの選び方はたいていいい加減でよくわからない。
「そーいえば最近、遊んでくれる女の子いないんだよねー」
「欲求不満ですか」
「そーかも。誰か紹介して」
「あなたみたいな人を僕の知り合いとして紹介すると僕の評価まで落ちそうなので冗談じゃないです」
「………帝人くん、言いすぎ」
「あはは」
あははじゃないよ謝れよほんとにもー、と臨也さんがぼやいた。これくらい直球で言っても許される距離感というのはおもしろい。相手が臨也さんだと思うと余計に。
「そーですねー…。あおばく、」
「やめて。ほんとうに止めて」
苦虫をかみつぶしたような顔をする臨也さんを見つめた。じいっ。あーやだやだ、と言いながら彼はモツ煮のこんにゃくばかり食べている。ちょっと癪なので器を引き寄せて、彼が食べようとしたこんにゃくを横からさらった。臨也さんはあからさまに機嫌を損ねた顔をした。
さらに畳みかけた。
「あおば、」
「やめろ」
飲んでるの、美少年って酒ですよね、と突っ込むことはやめておいた。よく考えたら、あの童顔の後輩も、もう少年というにはぎりぎりだ。
じいっと臨也さんを見つめる。臨也さんはうんざりとしていて、とりあえず店員さんを呼ぶことにした。こんなにおもしろいひとめったにいないのに、このひとの友人と言えば自分を含めたごくごく少数のひとであるらしい。信者とかはいるのに、とちょっと不思議な気分になった。けれど、まあ、別の次元で大切なものというのは確かにあるので、ひとつだけ言っておかなければいけない。
「園原さんと正臣に手を出したらブチ殺しますよ」
「………やめてよ帝人くん。きみがそれいうとわりと本気で洒落にならないんだから」
シズちゃんよりもよっぽど、と臨也さんは疲れたみたいにため息をついた。
麦焼酎をぐいっと流し込んで、あははと臨也さんの頭を撫でた。まったく、とため息をはいた臨也さんは口を開く。
「きみって性格わるいよねえ」
しみじみと言われて、失礼な、と思うけれど、まあ結局そういうことなんだろうな、と思う。その形容詞はよくよく自分に馴染んだし、もし、自分のことを過不足なく言い表せる人間がいるとしたら、それは臨也さんだと思うので。
「性格が悪いにんげんってあんまりいないよねえ。利己的な人間もわがままな人間も性根の腐った人間もひとでなしも、一山いくらでいるけどさあ。性格が悪いにんげんっていうのはなかなかいないね」
そこでちょうど注文を取りに来た店員さんに、ふたりしてオレンジジュース、という。酒、飲めよ、と思ったし、向こうがそう思ったのも手に取るようにわかった。にっこりと笑顔を向けあって、それから、出し巻き卵とおしんこ、という。店員はそそくさと行ってしまった。
「臨也さんがオレンジジュースなんて頼むから逃げられちゃったじゃないですか。異様ですよ、年齢考えてください」
「その言葉、そっくりそのまま君に返すけどね」
臨也さんはにやにやと愉快そうに笑っている。きっと自分も同じ顔をしていることには自覚的だった。そうして脈絡もなく、あ、チー鱈食べたい、と臨也さんが言い出した。ないですよ、ないものねだりですよ、わがままですよ、ついでにチー鱈の、鱈のとこだけ渡してくるくせに何言ってるんですか、チーズ頼めばいいじゃないですか最初っから、と言えるだけ言ってみる。
うるさいよ帝人くん、と臨也さんがむくれた。
「きみ喋りすぎじゃないの」
「臨也さんに言われたくないです心の底から」
「性格悪いなあ」
「そうはいいますけどね、臨也さんはひとでなしですよ。しかもその辺にちょっといない次元でひとでなしですよね。ひとをひととも思ってない。略して最低です」
最後のひとくちのイカ刺しにふたりで箸を伸ばす。タッチの差でかすめ取られた。視線があって、またにっこりと笑みを交わした。
相手をひとでなしだと、性格が悪いとけなし合って、そうしてお互い、相手よりはマシだと腹の中で思っている。静雄さんが見たら、胸クソ悪いとでも吐き捨てるのだろうかと、少し考える。それでも、自分も臨也さんも、こういうつきあいが楽しいし、楽なのだからしょうがない。
自分はとても静雄さんが好きだ。強くてまっすぐでかっこいい。ふつうのひとは、あんなふうには生きていかれない。いかれないから、それを体現している静雄さんがかっこいいと思う。
そうは思うのだけれど。
ふう、とため息を吐き出すと、ちょうと店員が出し巻き卵を持って来て、テーブルに皿が置かれた瞬間に臨也さんは皿の片隅に置かれた大根おろしをまとめて口に運んだ。
あー!とわめくと、俺、大根おろし好きなの、としゃあしゃあと言っている。ふざけるな、と臨也さんが大事そうに取っておいた、最後の一個のモツ煮のこんにゃくを食べてやった。わああとわめいた臨也さんにひとでなしとおとしめられる。心外だと眉根を寄せた。
どんなに静雄さんに憧れても、けれど結局、自分の友人は折原臨也だし、折原臨也の友人は自分なのだ。自分も臨也さんも、静雄さんの理解者にはなれない。悲しいことだ。
まあいいか、と諦めて、引っ込むタイミングを逃しておろおろしていた店員さんに、ゆずはちみつサワーひとつ、と頼む。あ、なにそれずるい俺も、と臨也さんが言って、定員さんは引きつった顔で去っていった。
ふたりして、くくく、と喉を鳴らす。悪趣味はお互い様だった。
ふたりして笑って、食べて、お酒を飲んで。月に一度の火曜日の夜は、平等に、とろとろと、更けていく。
作品名:呼吸をあかるく纏めておいで 作家名:ロク