心の中で1000回言うよ
タイプ音が軽快なリズムを刻む。
大きめのモニターには、ずらりと文字が並ぶ。
画面に反射して映る顔に、笑み。
「そろそろ時間だな。」
独り言を言うと、男はPCの電源を落とした。
値の張る、長時間座っていても疲れないという椅子から立ち上がると、
首を左右に傾け、肩に手をやる。
「パソコンを触っていると肩が凝るね。」
「揉んでとか言わないでね。しないわよ。」
返ってきた言葉は冷たいものであったが、それを予想していたのだろう、臨也はにやっと笑った。
波江は気色の悪い笑顔、と思いながらも雇い主である彼にその言葉を投げることも無く、ただ淡々と書類整理をしている。
「ちょっと出かけてくるね。
その書類整理し終わったら帰っていいよ。」
「そう。」
波江は当たり前とでもいうように、短く返事を返した。
臨也はいつもの黒いコートを手に取り、
そのまま事務所を出た。
この時間に事務所を出るのはもう日課になっている。
彼はその端整な顔で至極楽しそうに笑いながら歩く。
すれ違う人がいようがお構いの無いその笑顔は、幸せそのものだ。
目的の場所に近づけば、学生服に身を包む人、人、人。
臨也はその間を器用にすり抜けていく。
さて、どこかな。
右手を額に翳し、目を細めて学生服を見渡す。
一通り見渡した後、見つけた彼の目的。
否、標的。
「みっかーどくーん!」
大きく発せられたよく通る美声に、名前を呼ばれた本人はびくり、と肩を揺らした。
そして、恐る恐るといった様子で顔を臨也に向ける。
彼はまだ臨也との距離があることに気づき、走り出す。
臨也はそれを予想していたという風に同じく走り出す。
「まってよ!みかどくーん!」
「いやです!いやですよ!
僕の名前を連呼しながらおっかけてこないでください!」
逃げる逃げる、追う追う!
一人は至極楽しそうに、一人はこの世の終わりのような顔をしての追いかけっこ。
けれど結果は毎回同じ。
細くても年齢が上でいて、しかもいつも人並みはずれた力の持ち主の相手をしている臨也が負けるわけがない。
体力のない帝人が、先に失速する。
そしてつかまれる、腕。
「帝人君、つかまえた」
帝人は酸素が足りないと叫び声をあげる脳に、もっと酸素を送ろうと口で荒く呼吸をしている。
追いかけられるという捕食者になる恐怖から少し浮かぶ瞳の涙。
汗が、一滴帝人の輪郭をなでて地面に落ちた。
臨也は舌なめずりをして、
ああ、本当においしそう、と心で呟く。
「帝人君、毎回思うんだけど、逃げるの無駄じゃない?」
「、、う、うるさ、いですっ、」
いまだ息が正常に戻らず、苦しいのか胸を押さえながら息をする帝人には、
そういうのが精一杯だった。
臨也は息一つ乱れていない。
さすがパルクールを会得しているだけはある。
「はっ、何それ帝人君エロい。」
「!!」
帝人は目を見開き信じられないものを見るように臨也を見返した。
「ねー、ちょっとくらい俺と遊んでくれたっていいじゃない。
僕は君を愛してるんだよ?」
「人としてでしょ。その言葉もう聞き飽きましたよ。」
ため息とともに吐き出されたその言葉に、臨也は眉を寄せる。
違うよ、などというものか。
それは彼の意地であった。
そんなことを今いっても、絶対に帝人は信じないと知っているからだ。
そして、そんな言葉を吐いた瞬間に、
自分が自分ではなくなると知っているからだ。
「(くだらない、意地だな。)」
彼は知っている。
同情を求める言葉を吐いたその瞬間に、
自分は今まで見下していたモノと同じ、モノになるということを。
だから、言えない。
「俺は、君を愛してるよ。」
「はいはーい。もういいですって。」
帝人はまたか、という顔をすると臨也の腕を解いて歩き始めた。
臨也首を少し傾けて、彼の後姿を見る。
ああ、面白くない!
自分だけが彼を愛していて、彼は自分を愛さない。
こんなに愛しているのに!
心の中で何度叫んでも伝わらないと知りながら、
臨也は何度も心で呟く。
「(俺は君を愛してる!)」
作品名:心の中で1000回言うよ 作家名:ErroR