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蘭兄さんと祖国の今昔

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「……はい?」
 感情を抑えることを美徳とする国。少なくとも彼は人前で、喜怒哀楽、ほぼすべての感情を露わにしない。
「もうええ加減、お前も分かっとるやろうが」
 ――日本の常識は、世界の非常識だと。
 感情の露出が薄く、何を考えているのか分からない日本人は、気味が悪い、とさえ言う欧米人もいるほどだ。
「またお前が、湿気た顔してたんちゃうかと思ってな」
 試合終了のホイッスルを聞きながら、オランダは、あの世間知らずの東洋人の心配をしていた。かつて欧州では唯一の貿易相手国だった時、なにくれとなく世話を焼いていたみたいに。
 日本の眉間にきつくしわが寄った。彼にしてはまれに見る厳しい顔だ。
「悔しくないわけ、ないじゃないですか」
 日本の声が低くゆらめく。感情を押し込めるあまり、不自然に抑揚を失った声だった。
「選手の皆さんには失礼ですけど、まさかの決勝進出ですよ。あなたに負けた時はもちろん悔しかったし、それだけにデンマークさんに勝った時の喜びったら、なかったです。感情が、暴走するっていうのはああいう感じなんですね」
 ことり、と首をかしげて、日本は「おかしくなっちゃうかと思いましたよ」と吐息混じりにささやく。ひどく婀娜な仕草に、目を奪われた。
 気を取り直し、先をうながすようにオランダはうなずく。相手の薄いくちびるから感情が溢れ出す。日本はいつになく饒舌だった。
「信じられないでいるところに後から実感がついて来て、気がついたら周りの皆さんともみくちゃになってました。二勝一敗!ただただ嬉しくて誇らしくて、だからひょっとしたら行くところまで行ってしまうかもしれない、なんて」
 蘇る高揚に、日本の頬が朱に染まる。そして、黒い瞳に薄い膜が張った。
「それだけに、ワールドカップでの敗退がこれほど悔しかったことはないです。予選全敗もありうるなんて言われていた私たちには、分不相応な舞台だったかもしれません、でも」
 淡々とした声に嗚咽が混じる。頬をしずくが伝う。
「私の中の、皆さんの激情が流れ込んできて、溢れ返って、どうしようもなく狂おしいほどむせ返って、悔しいのは私なのか、皆さんの感情に引きずられたのか、分からなくって」
 感情の奔流を持て余した。幾度かしか参加したことがないワールドカップだが、ここまで感情を激しく揺さぶられたことはあっただろうか。
 鼻を鳴らす音。オランダはソファを深くもたれ、懐から煙草を取り出し口にくわえる。物足りないが、火は点けないまま。
「のぉ」
「はい」
 それは、今いちど、訊いてみたいとオランダが思っていたこと。
「今でもまだ、鎖国したいと思っとるか?」
「……ええ、時々は」
「そこは嘘でも『いいえ』て言うとけや!たまにお前、八ッ橋忘れてきよるな」
「恐れ入りますすみません」
 今度は幾重にも八ッ橋にくるんだ言葉が返ってきた。
 世界を舞台に勝ち上がる、夢みたいな日々。かつてなくはっきりと見えた栄光は、日本を熱に浮かせた。
「よかったな、お前んとこの国民に、南アフリカまで連れてきてもろたんやざ」
「……ええ」
 政治や、国と国同士の駆け引きとは無関係に、世界の熱狂の渦に飛び込んだ。
「ええか、俺はこのままじゃ終わらさん」
 オランダは、まっさらなままの灰皿に火の点いていない煙草を押しつけた。
 ガラにもなく、熱苦しくしゃべりすぎた。
「今度は、お前らの壁を粉々につぶしたる。完璧に鍛え上げて、またフィールドに帰ってこいや」
 顔をぬぐって、日本はすうっと目を細める。
 濡れた声で噛みしめるように、日本は言った。
「善処します」

 善処する。二百年程前に聞いたそれとは、真逆の意味がこもっているのだろう。
 オランダなどに言われずとも、日本の目はもう敗北の先を探していた。だからオランダは最後のみやげに、あとちょっとだけ、背中をどついてやった。
 昔は、開国せよと彼をあおった。自国の国益をにらみ、また彼を案じてのことでもあった。生き残るための近代化が、彼の国にとっては、後の戦禍への第一歩であった。結果論だ。
 オランダはまたしても、彼を戦場へといざなった。ただし、かつての、兵器をもって殺し合う戦争ではない。ボールを駆って得点を奪い合い、頂点へとのし上がっていく、人が死なない戦いだ。
 よもや16強に残れた程度で満足はしていまい?――ならばこそ、お節介を焼かずにはいられなかった。 
 その手で触れた栄光のまばゆさ、勝ち戦の味を覚えたが最後、それを忘れることなんてできないのは、誰よりもオランダが知っているから。
 オランダは南アフリカの地で日本を見送る。
 高地のフィールド、じゃじゃ馬のような大会公式ボールをいなして、素晴らしいプレイを見せてくれた彼の国の雄姿をオランダは思い出す。自分こそ、まだ苦しくも楽しい戦いのさなかにあるのだ。
「私は本国に帰りますが、オランダさんの試合はテレビで応援させて頂きます」
 日本には、いつまでも傷心にひざを突いている暇はない。サッカーだけにもかまけていられない。彼には彼のすべきことがある。
「応援してくれるんか」
「もちろん。今後の対策も兼ねて、私も見る目を鍛えなければなりませんし」
「ほぉ。それはええが、俺らはお前んとこを一度くだしとる相手やざ、ならブラジルの奴を応援してやらんのか?」
 ゆるりと彼は首を横に振る。
「私を負かしたあなたがたですもの、だからこそ、勝ってほしいと思うんです」
 口で説明するのはしっくりこない。でも別に、オランダの対戦相手にかたきを取ってくれなんて思わない。――日本は言う。
「お前は、パラグアイにも、負けた他の相手にも、そんなこと言うとるんか」
 否とは言わない。日本はただ、微笑んだ。
「……とんでもないやっちゃな、お前は」
「恐れ入ります」
 この引きこもりを世界にいざなったのは、彼のためという名目上、その実は自分のためだ。昔も現代も――このW杯においても同じ。競合の相手が、ひとりでも増えればいい。

 食えない爺さんは、清廉な笑みのまま、オランダの手を取りささやく。
 これだから、この男は。

「では……オランダさんにご武運を」




End.
作品名:蘭兄さんと祖国の今昔 作家名:美緒