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しろいとうふ

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「ひなた?」
 ここでは遭遇するはずの無い人間を目の前にして、俺は小首をかしげて疑問をそのまま音にした。
 待ち合い用の、あまり座り心地の良くないベンチにずるりと凭れ掛っている彼は、こんなところにはほとんど縁の無い人間だった。俺が覚えている限り、そのはずだ。
 顔を上げるのさえだるいようで、ゆる、と項垂れていた首の角度を少しだけ変える。
「音無…か、久しぶりだな。」
 確かに久しぶりに見た顔は蒼白で、血の気というものが感じられない。それにしては息が浅く荒くて、鼓動が速いことを窺わせていた。相当具合が悪そうだ。しかし体調が優れないのならこんなところに居るべきではない。いくらここが大学の附属病院といえど、今居るこの場所は研究室が大半を占めている棟で、外来は渡り廊下を渡った隣の棟に集中しているからだ。
「どうしたんだ、こんなところで…大丈夫か?」
 一年のブランクを感じさせない会話が始まる。長めの前髪を分けて額に触ってやれば、熱は無いようだが冷や汗をかいていた。そこまで酷くはないにしろ、医学部生として以前に人として放ってはおけない状態だった。俺の手の体温が気持ちいいのか、顔を少し上げて目元までを掌中に収めさせる。そういえばここは冷房が効きすぎているかもしれない。
「毎年恒例の、だよ…俺以外にも犠牲者は居るぜ、ほら」
「犠牲者って…あ、」
 奥に長く続く白い廊下のベンチは死屍累々といった様相で、自分と同じ年頃の割と恰幅のいい男たちがぐったりとしている。誰も声を発さないから今までさして気にならなかったものの、こうして見ると異様な光景である。そもそもこの廊下は滅多に部外者の立ち入らない研究棟の一角で、自分も教授に質問をするためにわざわざやって来たのだった。
 そこで一つの可能性に思い至る。そういえば、あの恒例行事は、この暑い季節に、たしか。
「まさか…」
「そう、そのまさかだ。献体解剖の見学だよ…うっ…」
 はきそう、と語尾に小声で続いたので、とりあえず背中をさすってやる。そうかもうそんな時期か、と惨状と化している廊下をもう一度見やった。
 日向は俺と同じ大学の教育学部中等課程の保健体育を専攻している同回生で、一年の頃に普遍教育で知り合った。いつものように遅刻して、空いている席を捜す日向を荷物をどけて隣に座らせてやったのがきっかけだ。それからは毎回遅刻してくる彼の席に荷物を置き、そこにさも当たり前のように日向が座り、運がよければそのまま昼食に行く。そんなつかず離れずの関係は、普遍教育が終わり教育学部のあるキャンパスへ自分が行かなくなった二年次にはすっかり途絶えてしまって、多少物足りない日々を過ごしていた。それでも連絡をとろうとは思わなかった。その程度の縁だったのだ、と。
「お疲れ様。ほんとに、大丈夫か?」
「いや、あんまり…女子はすげーよな、あんなの見てもさ、昼飯行くとか行かないとか…だめだ気持ち悪い」
 あんなの、というのは先程まで行われていた献体解剖のことだろう。この大学の医学部にも献体が提供されて、ある程度の頻度で解剖実験されている。そして保健体育の教職免許を取るには、その解剖を実際に見る必要が有るのだという。毎年この時期にそれは行われていて、例外なくこうした惨状を作り出すのだと先輩から聞いたのをやっと思い出したところだった。女子は月経などで血に慣れているのか、毎回ぐったりと項垂れているのは男子ばかりだという。まぁ素人にアレはきついだろうな、と解剖学の図録を思い出しながら日向を哀れんだ。顔色は一向に良くなりそうにない。授業の一環だからといって、無理して凝視し続けたんだろうな、こいつのことだから。
「立てるか?もう少し冷房のきつくないところに行ったほうがいい、無理ならいいが…」
「ん…肩貸してくれたら、いけそう」
「相当辛そうだな」
 あまり頭を揺らさないように腕を引き上げて、背中を支えてやる。見つけたときよりも落ち着いているようだが耳元で聞こえる息は相変わらず浅い。せめてこんな冷房漬けの場所じゃなく、陽の当たる所に移動させてスポーツドリンクでも飲ませないと。日向以外の学生には悪いと思いながらも、エレベーターへとゆっくりと足を進める。酔いそうなので乗せるのもどうかと思ったが、こんなに足元の覚束ない人間に階段を歩かせるわけにはいかなかった。
「ありがとな、久しぶりなのに、こんなで」
「いいよ、また会えて嬉しい」
 する、と口から出た言葉はあまりにも正直で、似つかわしくなさに取り消してしまいたくなったが、歩くことに精一杯な日向には聞こえていなかったようでそっと胸を撫でおろした。
「すげーな、お前も。これからああいうの相手にするのか…俺は今からレポートを書くだけでも憂鬱だってのに…」
「レポートか…もしよかったら手伝うぞ?」
「まじで?助かる、俺も音無に会えてよかった…」
 前言撤回。さっきの発言はきっちり彼の耳に入っていたらしい。無垢な言葉につい首元と耳が赤くなっていく気がして、顔を俯けて彼の腕を抱えなおした。
 さっさと、このバカをいつも通りの健康な体にしてやらないと。弱っている人間の甘い言葉は、医者の卵の心さえも簡単に打ち砕くのだ。
作品名:しろいとうふ 作家名:初子