親鳥の愛情
昼下がりの屋上は天気が良くて心地良い。日差しは暖かくて、風は優しく頬を撫でていく。
今日も晴れ渡った空の下で、利央は青空と同じくらいきらきらした笑顔で得意げにそう言った。
俺は紙パックのジュースをわざと大きな音を立てて啜り、利央の顔とそれを交互に見る。
大事そうに彼の掌に乗っているのはなんてことはない、ただのちっぽけな、
「・・・四葉、だな」
「そう!四葉のクローバー!」
俺にとってははっきり言って何の変哲もないただの雑草なのだが、利央にとっては違うらしい。
うっとりとした目つきで掌の四葉を見つめる利央は、いつもよりも何割か増しでうざったい。
俺は四葉に見惚れている奴の弁当から唐揚げを盗みながら、それを見つめてみた。
そういえば子どもの頃に女の子達が、嬉しそうに話していたことがあった。
辞書とか電話帳とかにそれを挟んで栞を作るのが、俺のクラスの女子の中で一世を風靡していた。
だけど男子にはそういった類のものを大事にする習慣はなく、俺自身も興味はなかった。
周りの友達も全然気にしていなかったから、女の子特有の宝物だと思っていたのだが。
どうやら物事には、ちゃんと例外というものが存在するらしい。
俺は利央の掌にあるタカラモノに息を吹きかけてみた。ふわっと頼りなく宙に浮いた。
利央は慌てて四葉が落ちないように大事に両手で包み込むと、俺のほうに不機嫌そうな目を向けてくる。
(・・・というか、俺がお前の唐揚げ食べたの気付いてないだろ?)
「ちょっと何してんの!?」
「や、別に・・・」
「落としたらどうすんのさぁ!」
そう言うとそっぽを向いてしまった。どうやら俺の態度が気に食わないらしい。生意気な。
利央は四葉ばかりを気にしていたが、俺は利央の弁当ばかり気にしていた。
今度は卵焼きが目に入ってくる。利央の母親は俺のお袋なんかよりもずっと料理がうまい。
色とりどりの美味しそうなおかずを物欲しそうな目で見ていると、利央に睨まれた。
「興味なさそうだね・・・」
「そんなことないけど?」
「弁当しか見てないじゃん」
若干怒りながらも利央は下手な箸使いで卵焼きを持ち上げると、俺の口の方に持ってきた。
俺は親鳥から餌をもらう雛鳥のごとく、あー、と口をあけた。
多分この時の俺の顔は、四葉を掲げていた利央と同じくらい輝いていたことだろう。
口いっぱいに広がるほどよい甘さに身をゆだねていると、利央は「唐揚げが消えた!」と叫んでいた。
「・・・どこで見つけたきたんだ?」
「え?あ、体育の時間に!雑草生えてるとこ眺めてたら見つけたんだよ」
「それどうすんの?お祈りでもするのか?」
「そういうもんじゃないでしょ」
「じゃあどういうもんなんだよ」
首を傾げてそう聞いてみると、利央はえっ、と言葉を詰まらせた。
大事そうにしていた割には、いざこう尋ねられるとその大事さがよくわからないらしい。
四葉とにらめっこして難しい顔をしている利央を見て、そう判断した。
ふと脳裏には、あの頃の女子達を浮かび上がる。彼女たちは何が嬉しくて四葉を探していたのだろうか。
あれがなぜ流行したのかを思い出そうと試みたが、興味を持てなかった自分にはわかるはずがなかった。
唸っている利央の膝の上にある弁当はまた無防備に晒されていたが、俺は黙っていた。
黄色い卵焼きは確かに魅力的に見えたが、今は手を出そうという気にはなれなかったのだ。
「幸せを運んできてくれるものなんでしょ?一応」
「・・・ふーん、そうなんだ」
考え込んでいた割りに、利央の口から出た答えは単純なもので。
俺は肩透かしを食らわされたので、一気に四葉から注意が逸れ、卵焼きに手を伸ばした。
しかし、その手はぴしゃりと叩き落されてしまい、俺は利央をじろりと見上げる。
少しの間が空いたが、利央の青い箸が卵焼きを捕まえると、それは迷わず俺の口にやってきた。
俺は満足げに餌付けされた。親鳥のような利央はちょっとだけため息をついている。
「だから、はい」
「は?」
今度は卵焼きではなく、四葉のクローバーが俺の顔の前に差し出された。
もちろん箸ではなく、先ほどまで大事そうにそれを持っていた利央の手で。
こればかりは雛鳥のようにそんな簡単に、ほいほいと受け取れなかった。
「大事にしてよね」
「いやいや、ちょっと待てよ。これはお前のだろ?」
「そうだったけど、準サンにあげる」
「何でだよ?」
つい数分前まで本当に宝物のように眺めて大事そうに掌に乗せていたのに。
それをどうして急に俺の方に渡すのか。全くもって意味がわからない。
四葉を大事にする気持ちもわからなかったが、今の利央の行動のほうが理解不能だ。
俺は間の抜けた顔を向けていると、片手を利央に取られてその掌に四葉が乗せられた。
ただの雑草は掌に乗せられても、まるで羽のように重みなど感じられない。
掌に乗せられた実感も沸かないまま、利央は俺を見て満足げに笑ってみせた。
「だって俺の幸せは、準サンが幸せでいることだから」
こっちのほうが効率いいと思わない?なんてさらりと言う利央に俺はただ呆然としていた。
あー、なんかもう。すっごい腹が立つ。このふわふわの頭を思いっきり殴ってやりたい。
でもにこにこ笑っている利央を見ていると、いつもはできるはずのことが出来なくなった。
俺は掌に四葉を乗せたまま、立てた膝に顔を埋める。そして思うことはただ一つ。
『どうしよう、すっげえ好きだ』
(俺ってもしかして、病気かもしんない)
(・・・となりの奴から伝染してきた“馬鹿”っていう名前の病気)