あったかくて、やさしいそのいろ
暖かい紅茶に一筋のミルクを零したような。
(あぁ、そうか)
昼休み明けいちばんの授業は、誰だってかったるい。
俺もその例に漏れず、何度も何度も欠伸をかみ殺している。
窓際のこの席は太陽の日差しが眩しくて、ついつい目が閉じてしまいがちになる。
前の席のクラスメイトが教師に注意されているのを聞いて、慌てて意識を晴らした。
だけどそんなものは所詮一瞬しか持たなくて、またしても欠伸がひょっこり顔を出す。
それではいけないと思い、気を紛らわせるために窓の外見る。
すると調度どこかのクラスが使用中らしく、グラウンドの手前に人だかりが見えた。
俺は思わず目を凝らした。見覚えのある頭を発見したからだ。
遠目からでも、黒髪の群集の中にいれば、そいつの頭はよく目立つ。
明るい髪の色は、太陽の下だと余計に映えるらしい。
俺はなぜか笑いそうになって、慌ててこみ上げてくる笑いをおさえこんだ。
だけど、人々は授業を聞いているかぼんやりしているかで、そんな俺には気づいていない。
ほっと胸を撫で下ろし、教師が黒板を白い文字で埋め尽くしているのを確認して、グラウンドに視線を移した。
よくよく見てみれば、その目立つ毛色の男は、変な動きをしている。
体育座りをして教師の話を聞いている他とは違う。頭が下がったり上がったりとぎこちない。
それは見る人が見ればすぐにわかる。あいつは体育にも関わらず寝ているのだ。
隣のクラスメイトが肘で寝ている彼を突いている。一向に起きる気配はない。
そうこうしている間に体育教師が寝ているアホな生徒の前に立ちはだかる。
後のことは用意に想像できた。そして想像通りの結末になった。
教師は首からぶら下げていた笛を思いっきり吹いた。(さすがに音は聞こえなかったが)
夢見心地から強制的に帰還された彼は、驚きすぎたのかなぜか立ち上がってしまっていた。
状況が把握しきれなくてあたりをきょろきょろ見回している彼をよそに、クラスメイトたちは腹を抱えて笑っている。
俺はその光景を見て、ついに本気で笑いそうになってしまって、教科書で顔を覆った。
肩が僅かに震えていたのか、後ろの席の奴にどうした?と小声で聞かれてしまう。
頭を横に振って大丈夫、と言ったものの笑いはおさまりそうにもなく、俺はしばらく苦しんだ。
窓から見えたあいつの髪の色は、どこまでも暖かい色をしている。
日本人を両親に持つ俺には決して無いものだ。
ふわふわと揺れる髪は見ているだけでどこかくすぐったい気持ちなる。
あぁ、そうか。
俺は古い記憶のひとつを、蘇らせた。
(あいつは、似てる)
暖かい紅茶に一筋のミルクを零したような、
そんな色をした子犬を拾ってきたことがある。
まだ弟が母のお腹の中にいるときのことだ。
こげ茶色のつぶらな瞳が一生懸命、俺のことを見ていた。
体の毛は短いのに頭のてっぺんだけは、ふわふわのぼさぼさだった。
間抜け面のそいつをどうしても無視できなくて、俺は抱き上げてしまったのだ。
まだ小さかった俺が子どもとは言え、犬を一匹抱きかかえるのは大変なことで。
だけどお腹の辺りに感じる温もりがとてもくすぐったくて幸せだった。
『もとのところに、返してらっしゃい』
俺はまだ小さくて、母がそんなことを言うなんて考えてもみなかった。
だって子犬はあったかくて、こんなに可愛くて、悪いことなんて何一つしていないのに。
弟がお腹にいると嬉しそうに教えてくれたときのように、突然現れた命を受け入れてくれるものだと思っていた。
『準太はもうお兄ちゃんになるんだものね、母さんの言っていることわかるでしょ?』
わからなかった、どうしても。わかりたくなかった。
ただ、母の手が俺の頭を撫でていて、その手が離れていくと思うと怖かった。
わかったふりをした。聞き分けの良いふりをした。俺に触れる母の手が寂しかったから。
母のお腹は毎日大きくなっていって、俺の存在が小さくなっているような気がした。
来た道を戻る。子犬は悲しそうに一度鳴くと、それっきり何も言わなくなった。
せっかく空になったダンボール箱に、子犬がまた舞い戻ってくる。
この腕に感じていた子犬の暖かさとか重みとかが、嘘のように離れていった。
俺はもうその場にいられなくなって、夢中で走って帰った。
あの瞳を見ることが出来ない。きっと今の俺と同じような色をしていると思ったから。
家に戻ってくると何も無かったかのように夕食が準備されていて、俺も何も無かったかのように振舞った。
母と父は生まれてくる子どもの名前を考えていて、食卓には色んな名前が飛び交っている。
“女の子だったらきれいな名前が良い、男の子だったら強い子になる名前が良いな”
そこで初めて気がついた。
あぁ俺は、あの子犬が女の子だったのか、男の子だったのかすら知らない。
一度でいいから名前をつけて、呼んであげれば良かった。
だけど俺は、子犬がいたあの道を通ることは、もう二度となかった。
「利央」
「なんすかぁ?」
「・・・りおう」
「はい?」
いっぱい、名前を呼ぶね。
いっぱい、愛してあげる。
いっぱい、幸せになろう。
「お前、体育の授業くらいは起きてろよな」
「えっ!?」
今度見つけたこのぬくもりは、大切にしたいと思った。
作品名:あったかくて、やさしいそのいろ 作家名:しつ