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ガラスみたいに怖い

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 今はただ優しいだけの時間も、いつか粉々に砕けて傷つけるだけのものに変わってしまうのだろうか。
 
 
 大会明けの月曜日、薄曇りに湿った空気という半端な天候に、朝から爽やかとは程遠い気分で家を出た。自転車を走らせ十分もすれば校門前のバス停に見慣れた背中をみつける筈だが今日は見当たらず、何となく肩透かしを食らったようだった。
 それでもその事はあまり気に留めず、自転車を停め、いつものように職員室へ部室の鍵を取りに行く。一度当番制にしたところうっかり自分の番だと忘れる者が絶えなかった為、責任をもって部長である自分が毎朝鍵を開ける事にしたのだが、所定の位置に下がっている筈の鍵が、その日は既に持ち去られていた。
 誰かが先に来て持って行ったのだろうか。南が部長に就任して以来、そんな事は今まで一度もなかった。違和感を募らせながら部室へ足を向けると、通り掛かる廊下から見えるテニスコートに人影が見えた。それは、壁を相手にひたすらボールを打ち続けるエースの姿だった。
「千石……」
 誰よりも早く朝練に取り組むほどの意気込みは喜ばしい事ではあった。このタイミングでなかったら、素直に感心し労いの言葉をかけてやるだろう。だが今の南の眼には、その真摯さがかえって痛々しいものに映った。とても見ていられなかった。
 止めろ、と叫んでしまう代わりに南は目を逸らし、足を速めた。部室までの僅かな距離が、ひどく遠く感じられた。
 着替える事さえもどかしく、ラケットバッグと鞄を入口近くに置き、制服のまま真っ直ぐコート脇を目指す。彼はまだ南が来た事さえ気付いていない。それほどの集中を途切れさせてしまうのが惜しくないわけではなかったが、それ以上に辛かった。
 声を掛けるという発想ははじめからなかった。跳ね返ってきたボールが当たる寸前を狙って、後ろから彼の両腕を捕らえる。抵抗はなかった。はじめから動く意思などなかったかのように弛緩していた。
 掴んだ弾みで彼の手から滑り落ちるようにラケットが転がる。ボールは行き過ぎて失速し、しばらくして地面に落下したようだった。

「やぁ、おはよう南」
 力を抜いたまま顔だけ振向き、彼はいつものように挨拶した。
「……おぅ、早いな」
 一瞬、何を言うべきか躊躇ったが、結局は調子を合わせる。そもそも、自分でも衝動の意味を理解できずにいた。
 
「千石は?」
 放課後、委員会の会議のため遅れてやってきた南は、部室にもコートにもエースを見つけられず焦った。昼休みに昼食を共にした時はまったく普段通りだったので、今朝の出来事も忘れかけていたのだ。
 寄って来た東方に尋ねると、要領を得ない答が返ってくる。
「あれっ?さっきまでいたような気がしたんだが」
「さっきって、いつ?」
「さあ。俺は新渡米達と打ち合ってたから、よく見てないよ」
「千石さんなら、さっき帰りましたよ」
 背後から答えたのは室町だった。
「本当か。何分ぐらい前?」
「南部長が来る5分くらい前だったと思いますけど」
「そうか。まだそんなに経っていないな」
 呟くや、南は部室に引き返し着替えを始める。
「お前も帰るのか?」
 東方が慌ててついてきた。ダブルスのパートナーがいないのでは、練習もやりにくいのだろう。
「いや、アイツを連れ戻してくる」
「え?」
「悪い予感がするんだ、このままほっとけない」
「……そうか」
 納得したわけではないだろうが、東方はそれ以上何も言わなかった。
「悪い。なるべくすぐに戻るから」
 発している自分でも信じていない言葉を残して、何も持たずに部室を飛び出す。ふと見上げた空は朝よりも雲が増え、今にも泣き出しそうだった。
 
 買い替えて三年目になる自転車は、安物のせいか段差を越えるたび鈍い悲鳴をあげた。いくつか見当をつけた場所を順に回るが、なかなか行き当たらない。千石のことだ、てっきりどこかに寄り道しているだろうと思ったのだが、真っ直ぐ帰ったのかもしれない。
 方向転換して、山吹の最寄り駅まで引き返す。ペダルを漕ぐ足が鉛のように重い。隠れきらない西日が街並みをセピア色に染め上げている様を眺めながら、募る焦躁をどうにかやり過ごした。
 駐輪場に自転車を乗り捨てる勢いで停め、駅内へ駆け込むと、ちょうど案内板の表示が切り替わった。千石が利用する路線の次の電車が間もなく発車する。慌てて切符を購入し、ホームへと急いだ。
 学生やサラリーマンの帰宅にはまだ早いこの時間は人も疎らだ。南は前車両から乗り込むと、後ろへ向かって歩きながら千石の姿を探した。
 二両目に移動した時、電車が動き始めた。ちらと窓に目を向けると、雲間から垣間見える太陽が、まるで蝋燭のようにささやかに燃えている。その光が網膜に残像を残して、視界が不明瞭になった。それでも、次に車内に視線を戻した時、端に捉らえたあの色を見逃すことはなかった。
 この電車は、駅に到着してからどのくらいの間停車していたのだろう。彼は南の心配をよそに、優先席の手前の座席にもたれかかって穏やかな寝息をたてていた。
 全身の力が抜け、強張っていた心も緩む。千石を見下ろすように吊革につかまり、南は溜息混じりの苦笑を漏らした。
 
「お前の扱いには、いつまで経っても慣れないよ」
 落ち込んでいるのかと気負えば、それほどダメージを受けていない。かと思えば、大丈夫だろうと目を離したすきに、ひとり傷ついている。彼自身が気付かれまいとかたくなに隠しているから、余計にそうなのだろう。それでも南は、何一つ見落としたくなかった。一瞬でも気を抜いたら、それだけで壊してしまいそうな気がした。
 
 黙って見過ごしてしまうくらいならこの手でそれを為すだろう、臆病な自分を嘲う。規則的なリズムに揺られながら、彼が瞼を開けるまで、その寝顔を見守り続けた。
 
 
(2007.11.18 - サイト再録)
作品名:ガラスみたいに怖い 作家名:_ 消