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Rabbit.

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薄暗い牢屋の中。冷えた空気は充満していてひどく淀んでいる。
聞こえるのは誰かの妙な小声や奇声や笑い声。妙な歌も聞こえてくる。
激しい吐き気を覚える。こんなところにずっと居たら気が狂いそうだ。
だから罰なのだろう。これは彼らに与えられた、生きていく地獄。
食事も与えられるし、制限はあるが外に出て適度な運動も行い、そして夜は眠る。
生活や環境のせいで身体が死ぬことはないが、心のほうはどうなのだろうか。
考えようとして止めた、知識の浅い俺が犯罪者の心などわかる筈がない。


「新しい人だね」


一番奥から声がした。
あまりにもしゃんと響いたその声は、薄暗い牢屋には似合わない色をしている。
じぃと目を凝らすと、闇の奥に溶け込んだ黒髪がぱさりと揺れるのが見えた。
暗がりに慣れてきた目が次いで捉えたのは、薄い唇が弧を描く様だった。
しかし俺はその声のほうに目を凝らすことのが精一杯で、気付かなかった。
闇の中の男が言葉を発した瞬間から、牢の中の誰もが口を閉ざしていたことに。


「先輩に教わらなかったのかい。一番奥の牢には来てはいけないと」


そして最後に見えた瞳と、目が合ってしまったことを俺は一生後悔する。
暗い中でもはっきりと見えた、その目は見事なまでに赤かった。




「アイツ、目が赤いだろ」

「誰も本当の名前は知らない」

「みんなこう呼ぶ、」


あれの牢は一番奥だ。一番手前にある入口から最も遠い場所だ。
いつからそこにいるのか、どうしてその場所になったのか。誰も知らない。
資料を漁ってみたが下っ端の俺には閲覧できない書類らしく何処にもなかった。
上司に尋ねてもまともな答えは返って来ず、近い先輩の噂話だけが聞けた。
だから俺は何も知らない、知らないほうがいいとも思っている。なのに。


「あぁ、今夜はシズちゃんかぁ」


闇の最奥から声がする。陽気な笑い声が逆に薄気味悪い。
入口の見張り、それも深夜当番の時に限り、あの声が聞こえてくる。
どこで知ったのか、人の名前にふざけたあだ名をつけて、それを呼ぶ。
その瞬間、牢の中は静寂に包まれる。全てが夜に溶け込んだように。
残っているのは俺と、あいつだけ、そんな錯覚に陥りそうになる。
どうしようもなく不快だった。最初にここに来た時に感じた吐き気よりもずっと。
あの声が鼓膜を揺らすのも、その瞬間にあの赤を思い出すことも。
ひどい色だ、赤、花のような、ルビーに似た、夕日を思い出す、ただの血の色だ。


「愛らしい小動物でも、寂しくて死んだりはしない」

「でも俺は死んじゃうかもしれないから」

「また来てね、看守さん」


初めてあの目を見た日から、俺は奥の牢屋に足を運んだことはない。
ひらひらと白い手を振りながらもう一度来いと、あれは言った。
ぎり、と無意識に唇の端を噛んでいたのに気付き、煙草に火をつける。
ゆっくりと肺に送り込んだ煙を吐けば、少しは気持ちが落ち着いた。
そんな俺の様子が見えているように、奥からくすくすと笑い声が絶えず聞こえる。
こめかみに青筋を浮かべながらも、俺は安い挑発に乗らないように注意を払う。
今夜も戦いだ。俺は絶対に負けるわけにはいかない。
そうして長い夜の間に灰皿は山のような吸殻が積み重なっていく。



「あの目は見ないほうがいい」

「食い殺されそうだ」


Rabbit.
作品名:Rabbit. 作家名:しつ