ほんとうに?
「言ったじゃないですか、古くさい形式に固執して偉そうに
ふんぞり返ってる人なんですよ」
「ふーん」
「仲良くなれってほうが無理な話です」
「最初っから仲悪かったわけ?」
「………」
当然です!とは答えなかった。
いつもあんなに散々な物言いをしてるのにどうしてウーリッヒが
口をへの字に曲げて黙りこんだのか、八宵には皆目分からない。
飲み直しです!と引きずり込まれた私室ではあるが、どうにも
伊八はその気になれず、手元のグラスの中身は冷やした緑茶だ。
対してウーリッヒは安物とは言え決して潤沢ではないビールだの
ワインだのを容赦なく消費していた。
いい酒ではないと心の隅で思いつつも黙ったままジッとグラスを
見つめる親友に、ぎゃいぎゃい言う気はおきない。
何しろ本日今夜、伊八は静かにする事をマスターしたばかりなのだ。
「小さい頃」
急にぽつんと呟く。目線をあげないままだからふわふわの髪に
隠れて表情は見えなかった。
「とてもとても小さい頃、猫を見せてもらいにいきました」
「猫なんか飼ってんの、あのダンディー」
「似合わないでしょう?けど名前までつけて……可愛がって
るんです、気持ち悪いことに」
くす、とかすかに笑ったのが分かった。
「人懐こい猫で、撫でるとすり寄ってくるんです。真っ白で、
右耳だけグレーの猫。私も欲しくなって駄々をこねました」
子供だったんです、と伊八の方を向いてへにょりと笑う。
年老いた人間が半世紀も前のアルバムをめくる時と同じ類の、
二度と手に入らない宝物への笑顔に、伊八はもやりと蟠りを感じ
が黙っていた。なにしろ沈黙を覚えた男だ。
「だけどもちろん私は飼うことはできないんです。それでも欲し
い欲しいと泣きました」
深く息を吐く。すぐ隣からほわんとアルコールの匂いが濃く漂って
それだけで酔いが増しそうだった。
「そしたらあの男、なんて言ったと思います?」
きっと自分にはなんの答えも求めていないんだと分かったから、
伊八は何て?とだけそっと尋ねる。
「『でも光の届かない深い海の底ではかわいそうだろう?』」
ちょっと低めた声は似ても似つかない。だけど、妙なところに
アクセントのついた日本語は当然おんなじで、また少し、伊八の
心を重くした。
「それで、猫が恋しくなったらいつでもここにおいで、なんて
言うんですよ……」
「……」
「結局、次に行ってみたら猫は死んでしまってました」
あえて軽くしたのであろう調子で言って、ウーリッヒは残りの酒を
ぐいっと干した。
「子供との約束も守れない、最低な男です」
こん、と空のグラスが音をたてた。
「ホント……大嫌い」
伊八は、即座に浮かんだ言葉を飲み込み、代わりにもう眠ろうと親友の
手をとった。
<ほんとうに?>