good bye,destortion!
と手渡されたのは、白い大きな箱だった。両手で持っているのにずっしりと重さを感じる。
何だろう、と思ったが、その疑問はすぐに解決した。箱から甘い匂いが漂っているし、箱に貼られているシールに書かれた店の名前に覚えがあった。最近OLさんの間で人気のケーキ屋だ。ということは、中に入っているのはケーキか。
臨也さんに断わって中を開けると、フルーツが豪勢に盛られたホールケーキだった。僕の視線が、臨也さんとケーキを往復する。臨也さんはただ笑って何も言わない。
僕も臨也さんもとっくに過ぎているので、誕生日、というわけではない。はて、今日は何かの日だっただろうかと色々考えてみたけれど、思い当たらなかった。…一応、記念日という線も外しておく。臨也さんが記念日なんてものを覚えていて、盛大に祝おうなんて気持ちがあるとは到底僕には思えないけれど。
「今日って、何かありましたっけ?」
結局、自力で問題を解くのは放棄し、臨也さんに尋ねてみた。
「ん?特にないよ」
普通に返されてしまった。二人そろって首をかしげている図は、何だか滑稽である。というか、臨也さんがそんな顔をする必要はないでしょう。
「何もない、んですか?」
「え、何かあったっけ?」
「わからないから聞いたんですけど」
「何もないよ」
「…そうですか」
「うん」
キラキラと光るフルーツケーキは、何だか偽物みたいに思えたので、僕は一番上に飾られていたイチゴを剥がし、口の中に放り込んだ。「こら、行儀が悪いよ」と臨也さんが僕の頭を軽く叩くと、キッチンから皿とフォークを持ってきた。
「今食べちゃうんですか?夕飯の後の方がいいと思いますけど」
「食べたいから、摘んだんじゃないの?」
「今、お腹いっぱいです」
「…帝人くんの行動は、時々変だよね」
そう言って、臨也さんは持ってきた食器を片すことなく、そのままテーブルの端にそれを置いた。
僕の口の中には、甘酸っぱいイチゴの味がぐるぐる回っている。よく味わって、「美味しいですね」と簡潔に感想を述べてみた。臨也さん曰く、このケーキが店の一番人気なのだそうだ。なるほど、ちゃんと食べたらもっと美味しいんだろうな。
さて、と僕はまた考える。
話題のケーキ屋。一番人気のケーキがホールサイズ。
これらが意味するものは一体何なんだろう。本当は僕が忘れているだけで、何か特別な意味を持つ日なのではないだろうか。臨也さんは僕が気づくのを待っていて、僕から言い出すのを待っている、とか。だとしたらちゃんと思い出してあげたいが、残念ながらまったく心当たりがない。何だ、僕が忘れてしまっているだけなのだろうか。唸ってもみたが、全然出てこない。
「本当に、特にないんだよ」
そんな僕の様子を見かねてか、臨也さんが僕の向かい側に座り、頬杖をついた。
「…本当に?」
「本当に。単に俺が食べたかったから」
「それならわざわざホールで買ってくることないですよね?臨也さんは甘党というわけでもないし」
「うん、違うねえ」
「なら、どうしてこんな大きいの…」
思わず眉間に皺を寄せてしまったが、臨也さんは笑うだけだった。そして僕に答える。
「別に特に何でもなかったんだけどさ。本当に何かするつもりじゃなかったんだけど、そういう特別じゃない日だからこそ、何かしてみたかっただけなんだよね。急にケーキが食べたくなって、店に寄って、このケーキを見た瞬間、帝人くんと食べてみたくなった。それだけ。くだらない理由でしょ?」
「…僕と、ですか」
「そう、君と」
「…このケーキ、二人じゃちょっと多いかもしれませんね。っていうか、多いですよね」
「そうだねえ」
まずい。これはまずい展開だ。急にケーキの輝きが増して、僕の目を刺激し始める。こういうの、何て言ったっけ?居た堪れない?恥ずかしい?穴があったら入りたい?
「あ、ろうそくついてる」
どうでもいいことを口にする臨也さんには、全部バレてしまっているんだろうな、と思いつつ、僕は今夜の夕飯は少しだけ頑張ってあげよう、などと考えているのであった。
作品名:good bye,destortion! 作家名:椎名