くさるひと
気温も湿度も足の早さも、みんなみんな、嫌いだった。
+くさるひと+
余りに良くトイレへ立つのでからかおうとした瞬間、さりげなくその手にある簡素なポーチに気付いてしまった。少し意匠の凝ったファスナーの持ち手が光ったからだった。7cm四方でマチのない、別珍の毛並みの黒いそれは良く見るとささやかな同色のリボンがあしらわれていてまるで女子が持つような
まるで、女子が持つような
「……あ」
「なにシズちゃん」
「いや…………」
「歯切れ悪いなー連れション?連れション行く?ヤッダー平和島クンったらおトイレこわいの」
「ッゲーし!さっさと便所行けこの便所虫が」
ハハハハこわーいと言いながらひょいと教室を出て行く後ろ姿に手近な椅子を投げようと掴んだ所で自制した、そんな近いようで遠い過去を思い出した。
「あ」
何故いつもタイミング良く/悪く出会うのだろうと静雄は思う。
「……お前」
「やっほーシズちゃんもしかして狙ってんのかなこのタイミングほんと最悪」
こっちの台詞だという言葉は静雄に飲まれたまま次の言葉が出てこない。手にしやすい高さに置かれたいつかと同じポーチに、清潔そうな白いガーゼや数種類の塗り薬や小瓶に詰まった液体が見えた。カラフルな蓋に番号とアルファベットの振られたクリームはもったりとしていて、各々が仄かに違う色味で臨也の余り労働を知らなそうな指に掬われている。なんだってこいつは人目が薄いとはいえこんな道端の、小汚い路地で半裸を晒しているのだろうと静雄は疑問を抱く。五指が目的に沿ったパステルカラーに染まっている
「つーか何してんの」
「内緒ナイショてゆうかシズちゃん関係ないでしょアッチ行け」
小汚い路地に適した、小汚い何かの臭いがしていた。なんだか知らないがそんな清潔そうな使命を帯びたクリームに不適切な臭いだ。半裸の臨也が身動きをする度に、パステルカラーの使命の匂いと混ざって静雄は胸を悪くする。
臨也は気にしない様子でいつものなんだか知らない国のカタカナの水をガーゼに染まして肘から先や首の辺りを拭いている
「ホントなんの用なのエッチ」
「何か知んねーけど、ここじゃない方が良いんじゃないのか」
「……あそう、だから何」
「あんまり弱味とか握られたくないんだけど」
と前置いてそれでも話し始めるのは助けた礼に情報提供されているらしかった。良かったら、と言ったら意外に大人しくついてきた臨也は湯気のひとつも上げずに大人しくしている。
「ある程度気温と湿度が高い時はこれを塗らなきゃいけないんだけどうっかりしてて、帰ったらって思ってたけど意外に長引いちゃってどんどん臭うしさあ正直困ってたんだよねホント。いやしかし今年梅雨長いよねって言うか暑いよねもう夏?」
「それ、何なんだ」
「防腐剤」
ぼうふざい、という五文字の意味はびっくりするほどスムーズに静雄の中に入ってきた。場所の特異さに一瞬気付かず、気付いた時には臨也はいつものようにガラスの流れた歪みのような笑みを浮かべていた。
「ホント助かっちゃったシャワーありがとうね俺彼女みたい」
多分その前は傷付いたような顔をしていたに違いない、と思うのは静雄の希望的観測かもしれなかった。まるで人ではないと思っていた相手が未知の病に侵されているようであるという事実は静雄を相当動揺させた。ちょっと無理があるくらいにいつものような口調を臨也は取る。
「つーか、大丈夫なのか手前何だその、病気?みたいの治んないの」
「治んないけどそんな深刻でもないよ、所詮ライトノベルの二次創作だからね」
「は?なんだそれ」
「こっちの話」
じゃーねお邪魔しました、と言って臨也はなんだかとても常識的に玄関を通って帰っていった。
「……なんだそれ」