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なにからなにまで

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北里大学、北野敏志がなんでこんなに『顔とスタイルと頭と運動神経は最高だけど、ケチでどケチで早稲田大学、稲田早太以外にはまるで興味のないムッツリ眼鏡』と大評判の慶応大学、こと福沢慶介を、好き好き大好き愛してる、恋の呪文はスキトキメキトキス!……状態の目で見ているのかということについては、それなりの理由が存在する。なにも無条件に犬のようにして尻尾を振っているわけではない。
敏志自身にもそれなりに譲れないプライドというものがあるし、他者を見る目につけては定評もある。
……ただ、慶介が敏にとってどうしようもない絶対である、という厳然たる真実がそこにあるだけで。

今は昔、どうにも抜け出せない経営難と資金繰り悪化のデフレスパイラルに飲み込まれた。
大学といえども運営においては企業と同じ、まるで底無し沼のような状況。生徒の学費を上げることは敏志の矜持が許さず、かといって手っ取り早い資金源があるかというとそれもない。
そこで持ち出されたのが北里大学の国営化である。
つまり私立の一である敏志に対して、負債その他資金繰りの問題に関しては国が担保、解消してやるから国立になれという提案だ。
時代は私学の台頭期。慶應早稲田両校を筆頭に私立大学が続々と頭角を現し、危機感を覚えた国側がこれを機に一校でも多くを国立側へ引き抜こうとする魂胆が透けて見えた。
東大京大を筆頭に、旧帝大、国立大はただそれだけである種のブランドである。
特に地方においては今なおその気風が強い。
学内の意見は割れに割れた。
国からの援助を受ければ生徒や教授たちを路頭に迷わせることはない。大学の要は人にある。彼や彼女をないがしろにすることだけは許されない。
けれども国の傘下に入るということは、取りも直さず国家の支配下に入るということだ。今までは大学という白亜の牙城に守られ許されてきた研究たちに、しがらみが生まれることは避けられない。

迷わなかったといえば嘘だった。名は体を表す。
偉大なる父であり師、北里柴三郎の名を冠し、それを誇りとして生きてきた敏にとって、今さら国にかしづくというのは堪えようのない屈辱に思えた。
それでも。
それでも、そう思ったのは確かに自分を慕ってくれる生徒たちが存在したからだ。学問を志すひたむきな熱を彼らのなかに常に感じていたからだった。
病気の家族が居る、お年寄りにやさしい薬をつくりたい、子どもが死ぬのは嫌だ。苦しいひとを助けたい、それがどんなかたちになるのか今はまだはっきりとわからなくても。
大切なものを自分のこの手で守りたい。

優しい子が多かった。夢に向かって頑張る姿をこんなに近くで見てきたら、自分のプライドだなんて些細なことのように思えた。
教授陣も、生徒たちも、最後は敏に決めて欲しいとそう言った。ついて行くからと言ってくれた。
こんなに愛されていたんだなと思ったら、もう笑うしかなかった。
愛しかったのだ、みんなが。
当たり前のことに、今さら心が気が付いた。
かたちがどうだって構わない。本当に本当に大切なことは、自分たちと生徒たちが造り上げていけばいい。何度だって、新しい道は拓けるはずなのだから。
そうして北野敏志は国からの提案を受け入れることを決めたのだ。

「……ごめんなさい」

謝罪は殆ど自然に溢れ出した。
ふがいなくて、ごめんなさい。こんなときになにもできない自分でごめんなさい。
自分のかたちは変わってしまうかもしれないけれど、後悔だけはしたくないから。

「っ、め、なさい……!」

ひとりきりになって初めて泣いた。かみ締めた唇から嗚咽が零れた。
あなたがくれた体だったのに。今まで僕を大事にしてくれた、あなたたちがくれた体だったのに。

それでも明日になったら笑おうと思った。歯を食いしばってそう誓った。
自分の大切な人たちに、笑って大丈夫だと言おう。
もう決めたことだ、怖くなんてない。

ひとりにしてくれと頼んだ筈の部屋の扉が音を立てて開かれたのはそんな時だった。何の前触れもなく、今考えればおよそ彼らしくない乱雑さで。
思い切り打ち払われた扉の向こうで仁王立ちをしていた彼は、涙で歪んだ敏志の目に、まるで羽のない天使のように映った。ちょうど西日が射していたのだ、ほんとうにそう見えたのだから仕方がない。
怜悧に過ぎる彫像じみた面、茜に滲む流れるような黒髪に、切れ長の涼しげな目元が銀縁眼鏡の向こう側から敏志を捕らえる。

「師の旧友が国営化だと?ふざけるな。国家なんぞに魂を売るなよ」

福澤諭吉と北里柴三郎の交友を、意外な義理堅さでもって貫こうとしたのは福沢慶介。
慶介にとっての譲れない信念があるとすれば、揺るぎない規範があるとするならそれは師の教えに他ならない。福沢慶介は彼が彼で在るために、師の理念を絶対に裏切らない。
福澤諭吉が私立大学に求めたものを、福沢慶介は誰より深く理解していると自負している。それはもう、呼吸をするよりも当たり前に彼の皮膚に染み付いた、およそ彼の一部だった。
まるで退くことを知らない慶介の言葉に敏志が悲鳴じみた嗚咽を零す。
無力が悔しかった。金さえあればなにもかもが手に入るわけではないけれど、金がなくてはなにかを失う。

「っ、僕だって、僕だって出来ることならっ!「金なら俺が出してやる!私学であることに誇りを持て!国家に隷属しない学びの場であることに誇りを持て!!」

そうして慶介は敏志の腕を掴むと遠慮ない力で引きずりあげた。論理を薙ぎ倒して引力の強いまなざしに覗き込まれ、敏志は小さく息を呑む。

「膝をつくな、他人に媚びるな、貫くだけの力を持て。……お前にはそれができるはずだ、そのための援助は惜しまない」

いいなと問われて頷いた。頷いてしまったから、もう後戻りはできなかった。
自分の進む道からも、この冷たい天使の呪縛からも。
そうしてその瞬間に、一度死んだ敏志の世界は再び色を取り戻す。
敏志の涙を拭うような真似を慶介はしなかった。ただ黙って敏志が泣きやむのを待っていた。
西日が血のように赤かった。そんなことだけを覚えている。

「福沢さぁーんっ!」

大きく手を振って駆け出した。先ほどまで実験棟に居たので白衣のままだが構ってられない。
裾を翻し全力疾走を繰り広げながら、敏志は笑顔を浮かべてみせる。自然に顔が綻んでしまうのだから仕方がない。
あの日から、福沢慶介は北野敏志の絶対だ。
好きよりも大好き、それよりももっと!
作品名:なにからなにまで 作家名:梵ジョー