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もしもの時が。

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もしもの時が。




もしものもしもの戯れの

言葉の切れ端、漂って

いつかいつかは花開く

形はどこに、捨て置こう








 もしも、という言葉は便利だ。
 起こらなければそれでいい。起こった時には、ほんの少しばかり予習ができる。
「斬りませんよ」
 だからその返答に、あれ、そうなの、と疑問が私を埋め尽くす。
 斬る人だと、理解していた。
 例えそれが私であっても。
 黙ったままの私の気持ちを察したのか、ふう、とたっぷり息をついて。
「斬りたく、ありませんよ」
 そう言って、その口は開かなくなった。
 ああ、うれしい。
 こうも、大切に思われていたことが。
 けれど。
「もしも、そうなったら」
「加世さん」
「斬って、くださいな」
 それが貴方の使命で。
 私はそれを理解しているつもりだと自惚れている。
 そうなった時でしか、私がどうするかなんて分からないけれど。
 もしもそうなったとしても、私は貴方に笑顔だけを向けていたい。

 だって、仕方が無いでしょう。
 貴方へのその気持ちだけが、私の心を支配しているのだから。








 その身体はもう空っぽだった。否、中身が無くなったのは己の方か。
 金色に輝く己の身体。だが、その手足は動かない。
 出来ると考えたから、いつものように振舞えた。
 その刃を振り下ろせると決意したから、形も真も理も手に入れた。
 だが、やはり、己も人だったということか。
「は……」
「笑っている場合か?」
 小田島の、落ち着いた声が投げかけられる。
 分かっているとでも言いたげな、こちらの気持ちを全て酌んでいるかのような目が気にくわない。
「モノノ怪は、居てはならんのだろう」
「ああ。早く斬らねばならん」
「そうだな。確かにそうだ。なら……」
 その続きを、小田島は顔を背けることで取りやめた。
 今度は、舌打ちを隠さなかった。








 前も同じだったな、と小田島は思う。
 同じことしか出来ないのだと、札に囲まれる中で改めて痛感する。
 きりきりと迫る、加世だったものの爪。
 彼女の身の丈ほどの長さもあるそれを、薬売りは剣でなぎ払う。
 この世の全ての色を集めて、輝かせたかのような刃。色が四方に飛び散る光景は、四季に咲く花を眺めているかのよう。
 小田島は居住まいを正して、その幻のような光景を見守った。
 己の役目は見届けることしかない。気づけば、あとは腹を決めるしかなかった。
 たいして、時間はかからなかった。薬売りも、覚悟したのだろう。
 加世のような黒いそれは、動きを止め、ぼろぼろとその形を崩し始める。泣いているのだと、気づいてしまった。
 息が、つまる。荒くなった息に、思わず胸を押さえる。
 何をしている、と己を叱咤する。この閉じられた世界の中で、一番苦しいのは彼らであって、己ではない。

 流れ続ける涙。光。血。色。迷い。心。
 そして涙が、斬られてゆく。








 白い鳥が飛んでゆく。
 その姿は遠く、鳥だと分かるだけの形しか見えない。
 どこへゆくのか。どんな思いをその身に乗せて。
 そして、目の前の男も。
「ここは通さん」
「……小田島様」
「たとえ、斬ってでも、止めるぞ」
 小田島は道の真ん中で、薬売りと正面から向き合う。
 だが、それ以外のことはしない。刀も腰に下げたままだ。
「何が望みですか。これ以上、俺に何を望みますか」
「誰も、不幸にならない話を」
「俺は、不幸しか与えられませんよ」
「だとしてもだ」
 薬売りは動かない。長く垂れた前髪で、表情は見えない。
 行こうと思えば、いくらでもこの男は己をかわして逃げ出せるだろう。
 だがそうしないでいてくれるのならば、まだ望みはあった。
「共に、居てやってくれ」
「俺が居さえしなければ、いいんですよ」
「なら、もしも」
 突然、ぐらり、と薬売りの身体が前につんのめる。
 背中に飛びついてきたのは、当然。
「もしも、向こうから追って来たとしたら、どうする?」
 間に合ったかと、小田島はようやく表情を緩ませた。





 何故、このぬくもりがここにあるのか。
 捨てるべきだと、振り払うべきだと、心臓が破れそうなほど警鐘を鳴らしている。
 それが一番良い方法だと、今回のことで嫌になるほど理解した。
 なのに、薬売りは動けないでいた。
 剣を抜いた直後も、動けなかった。ああ、同じだ。こんな同じことを繰り返すような人間なのだ。
 だから、頼む。行かせてくれ。





 黙ったまま、されるがまま抱きしめられる青い背。加世はしばらくそこに顔をうずめていたが、やがてゆっくりと顔を上げる。
 いろんな気持ちが、渦巻いていた。
「薬売りさん」
「はい」
 それは、自分勝手な気持ちもあれば。
「怖かったです、とても」
「はい」
 相手を思いやる気持ちもあれば。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
「はい」
 ただひたすらに、泣き出したい気持ちもあれば。
「もう、嫌だと思いました。全部、消えてしまえばいいと思いました」
「はい」
 けれど、その気持ちの全てを取り払った最後に。
「貴方が居てくれて、よかった」
 決して偽りなど出来ない心だけが残っていた。
 ――ああ、この言葉さえ伝えられれば。
 後はもう、本当に消えてしまったっていい。



 そう思えるのに、けれど、強く抱きしめられる身体の痛みが、ここに居ることを実感させるのだった。







おわり



作品名:もしもの時が。 作家名:huku