ひろいし目玉。
ひろいし目玉。
村に時折やってくるお坊さんの話は、必ず足を運んで耳を傾けていた。
その熱心な私の姿に、お坊さんは嬉しさを、村人は哀れみを込めて
「またお庸か」そう声をにじませた。
そう、私の打算は、その話のどこかに潜む兄様の姿を感じたいがため。
そのお説教の中のどこかに、兄様の話はないだろうか。
わずかな片鱗でも見つけ出せたならば、そっと包み込んで、すぐにでも自分の心の中に仕舞いこむのに。全く見つかる気配はなかった。
それでも話を聞いているだけで、兄様を思い出せた。
幸せと、それと同じくらいの苦しみを感じる日々。
苦しみそのものよりも、その両方が混在していることが、苦痛だった。
けれど、もうそれも終わるのだ。
ほうら、月が閉じていく。
兄様は消えた。逃げたと言い換えても問題ないだろう。そんな必死さを、遠ざかっていく兄様の背中から感じ取れた。
私の言葉に、何を思ったのだろう。
失望したのだろうか。受け入れられなかったのだろうか。
どう足掻いても、兄と妹。決して結ばれぬ、けれど兄妹だったからこその出会い。
何にせよ、私は兄様の答えを、決して知ることはないだろう。
それは、もしかしたら幸福なことなのか。――分かりようも、ない。
この世から去るときは、きっとすがすがしい気持ちで居られると思ったが、どうやらそうでもないようだ。
「きれいな、船……」
その表面を、そっとなでる。手の込んだ繊細な作りの絵。これを描いた人間は、何を思って筆や彫刻刀を走らせたのか。
兄の命を飲み込むこれが出来上がっていくのを、嘆いても叫んでも決して村人に聞き入れられることはなく、ただひたすら忌まわしく思うだけだったのに。
「生きて、いる……死んで、ゆく……なんだ、本当に」
ふつうのことなのだ。いつか聞いたお説教の言葉が、すうっと心に沁みていく。
この世の絶対は、かならず終わりが来ること。
だから、この苦しみも終わったのだ。
ほら今も、こうして笑っていられる。
まだ残る悩みの種は、私の思いが兄様を苦しめないだろうか、というそれだけに尽きる。
けれど兄様の苦しみも、かならず終わるのだろう。
ならば少しでも早く、それが終わりますように。
できることならば、命が尽き果てることでの終わりでありませんように。
後はもう、ひたすら祈りを捧げよう。
海のため、などではない。
兄様のためだけに。
でも、海が荒れて、兄様の命が奪われるのは、ちょっと困る。
どうにもわがままだ。無駄なことばかり考えてしまう。
――ああ、どうして涙がこぼれるのか。
兄様だけを想えてしあわせのはずなのに。
たくさんのことを、思い出してしまうのは何故だろう。
抱えきれないほどの思い出があふれ出す。
扉がくるくると回転しながら閉じていく。
暗闇の中心で丸く浮かぶ外の世界。それが閉じるにつれ次第に欠けていく様子はまるで月のよう。
ふっくらしたまるい月は、次第にやせ細った三日月へと。そしてその細い三日月も完全に姿を消して、あとは闇だけが残った。
私も目を閉じた。
覚悟を決めて、私自身も、闇となった。
ある目玉は目を閉じる。
一人の男に、すうっと近づいて。
そして目玉は。
おわり。