選択肢。
気づいたときには、それはぽとりと、吸い込まれるように地面に落ちていった。
黄の人形のお守り。手首にくくっていた紐が切れただけで、たいしたことではない。
けれど、志乃の胸に去来したものは、例えようもないほどの巨大な不安。
「ああ、ごめんね」
すぐに、自分の大きくなったお腹をなでる。何度も、やさしく。
心の揺らぎは、すぐに伝わってしまう。自分の、愛しい、ちいさな命に。
お守りを拾い上げて、志乃はすっと背筋を伸ばす。
この山の頂上に、古寺があるらしい。
旅先で出会った老婆に、そこで世話になるといいと勧められ、志乃はそれに従った。
木々に囲まれた道を、ひたすら進んでいく。木の葉が一枚、はらりはらりと、風に乗って落ちていく。
志乃は目を細める。その葉ひとつひとつにすら、命を感じずにはいられない。
風に揺れて、葉は地面に落ちていく。今は青々と茂っているが、いつかはどれもこれも、例外なく。
そして、枝についたまま、虫に食われていく葉が目に映る。あの時の、数多のだるまの姿がそれに重なる。
彼らを救う力を、志乃は持っていなかった。
それでも救おうとするのが、母の役割だと、あの時志乃の心が強く訴えた。本能といってもよかったかもしれない。
ふう、と深く息をつく。――結局、誰も救えはしなかった。
あの時、ゆるすように笑ってくれたのは、きっと自分の妄想。
救ったのは、あの刃だけだった。
その事実を嫌悪すべきなのか、感謝すべきなのか、まだ、答えは出せずにいる。
少し、休むことにした。強い日差しは木々が遮ってくれているが、大気の熱ばかりはどうしようもない。
座るのにちょうどよさそうな石に座り、汗をぬぐって竹筒の水を口に含む。
ほんの少しの時間、ゆったりとしていたときだった。
その姿が、ちらりと目に入ったのは。
「あ」
思わず、といった感じで志乃は小さく声を出した。
青い、派手な服装をまとった男。離れていて表情は見えず、木々の間を縫うように道を下っている。
まだ、こちらには気づいていないのか。
少し話をしてみたい。彼自身が、モノノ怪を斬ることに対し、何をどう考え、思っているのか。
声を、かけてみようか。
悩んだ瞬間――ごとり、と動いた、命。
志乃ははっとして、すぐさま立ち上がる。
「行かないと」
彼が居る。
つまりそれは、またモノノ怪という不可思議なものと関わる可能性があるということ。
自分と、自分の子に危害を加える相手に、無闇に近づくべきではない。
志乃は、無力であってはならなかった。
自分の子を守るために、彼らの命を背負うことを放棄したように。
逃げる足があるならば。痛みを恐れる臆病な心があるならば。守るための力に換えねばならない。
志乃は先へと続く道を選んだ。
答えは、出さなくてもいいのかもしれない。ふとそう思った。
誰かにとっては喜ぶべきことで、誰かにとっては憎むべきこと。
もしかしたら、あの女将の行動も、そんな両面を持つものだったのかもしれない。
「もうすぐ、着くからね。がんばろうねぇ」
今はただひたすらに、声を聞ける日が待ち遠しい。その思いだけしか、抱えられないのだった。