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ナイトフィッシングイズグッド 2

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 冷蔵庫を覗いて、キャベツがないと一言、伊達は出ていった。近所のスーパーマーケットまで徒歩で片道十分かかる。自転車の鍵はテーブルの上に放られたままだ。真田は濡れた髪を拭いながら別にかまいませぬと語りかけたのだが、伊達は、生姜焼にキャベツがないなんて信じられねえと言う。そうして、財布を掴んで出ていった。バタンと重い扉が閉じる音。そうして、扇風機が部屋の空気をかき混ぜるかすかなモーター音が残る。真田はベッドにもたれて、かすかに揺れるカーテンを見つめた。黄色い空気が夏至の過ぎた夕暮れに漂っている。ふとその視界に、赤いものが閃いた。伊達の携帯だ。首を巡らせれば、ベッドの上に胡坐をかいて、口をへの字に曲げている。置いて行かれたのが寂しいのか。真田がこそりと笑むと、なにを笑っておると硬い声がつむじにぶつかった。
 いや、健気なものだなと思うてな。なにがだ。……お前、もうどれぐらいになる。は?政宗殿の携帯になってどれくらいになる?……あと少しで二年。二カ月かそこらのお前とは違うのだと言外に言われる。そういう声音である。真田はそっとくちびるの端を持ちあげて、まばたきをした。首を元に戻す。扇風機は相変わらずわずかなモーター音をさせて首を振り続けている。生え際の、まだ髪が濡れている部分が風に当たって心地よいと思う。
 伊達が真田の所属する高校の剣道部に指導者として現れたのが今年の春である。それまで指導に当たっていた教師が事故にあい、長期入院を必要としたためだ。まだ大学二年だという伊達は指導というと少しおぼつかないふうだったが、歳も近いことがあって部員とはすぐに馴染んだ。剣道部のOBだが、真田の学年とはかぶっていない。だがその顔は部室に飾ってある集合写真で見たことがあった。細められた左目と、今より少しだけ幼い顎のライン。やっと会えたと、彼が道場に現れたとき、そう思った。
 土曜日の部活を終え、その足で伊達の部屋に転がり込んだ。すぐに、汗だくの胴着と袴を剥かれて風呂に押し込まれる。1Kの部屋は狭い。洗濯機の動く音が、シャワーの水に濡れる足元で響いている。向かいのキッチンで包丁がまな板を叩く音。伊達の動く気配。
 最近、電池の持ちが悪いと政宗殿がおっしゃってたぞ。無言である。自覚はあるのだろう。二年が経つのならば、そろそろ機種変してもいいころだ。判っている。判っているが、そうせずにはいられないのだろう。時折、真田から伊達への着信が拒否されることがある。伊達に限ってそれはないだろうから、これが勝手にやっているに違いなかった。……あんまり不具合が多いと、どうなるか判っておるのだろうな?
 立てた膝に手をくれる。ぐっと近づいた扇風機の風が前髪をまきあげる。そうすると、背後で鈍い音がする。首を向けると、それは額を壁に押し付けて、ぎゅっと歯を噛んでいる。その白いエナメル質の塊が、削れて音をたてるのを想像する。お前になにが判ると、低く返事があった。判らないこともない、そう思う。思って、真田はフローリングに手をついた。ベッドに膝を上げ、壁際で身を縮こまらせているそれに近づく。真田の視線を合わせたそれの顔といったら、無残なものだった。その前髪をわしづかむ。痛みにさらにねじれる顔をシーツに押し付けて、真田はその上にまたがった。……お前は、ただの、携帯だ。
 そう告げると、今度は赤くなっていた顔が見る間に青ざめていった。赤い両腕がゆっくりと持ち上がってその顔を隠してしまう。許されていい恋ではない。かつて真田も独眼竜に対してそういう想いに身を焦がしたことを、それを見下ろしながら思い出している。