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浅井 紫乃
浅井 紫乃
novelistID. 11192
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沈む月

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…裏庭の何処かで、取り残されたように虫が鳴いている。

空を遮る雲もなく、からりと晴れた明るい満月の夜のことであった。


――満月は人を狂わす―


誰が言った言葉だったか。

満つる月の放つ冴え冴えとした蒼い光は、常世と異世の境目を淡く溶かし、
心の内に潜む者をも呼び覚ます。

それは鬼か、獣か、妖か。

人それぞれ住まう者の異なればこそ、人の世と云うべきか。


そして、此処にも。
ひとり、ふたりと。


彼等の内で目覚めた者は、果たして何であったのか。




   『沈む月』




幽かに色付いた吐息を辿り、その唇を指でなぞる。

やわりと食まれたそれをそのままに他方の手で色素の薄い髪の毛を弄る。

耳、頬、首筋と順に触れた後、形良い鎖骨に唇を落とした。

くっと息を詰めたのを微笑って、宥めるように薄い唇を撫でると潤んだ瞳に睨まれる。


「…真志喜」


愛しい者を呼ぶように、そして赦しを請うように、その名を舌に乗せれば
ふるりと長い睫毛が揺れる。

不埒な手のひらがそろりそろりと肌を撫ぜ、下へ降りていく程、
淡い色彩の瞳は徐々に焦点を失い。

胸の小さな花芽の輪郭を指の腹でなぞり、軽く爪を立てただけで、
目の前の肢体はひくりとしなる。


「せなが、き」


呼ぶ声に眉をひそめ、花芽を摘まむ力を強めると、か細い悲鳴が漏れた。


「こういうときくらい名前で呼んでくれよ、真志喜」


軽口のような口調にぎろりと目前の男を睨もうにも、薄い膜の張った眼では意味がない。

寧ろ煽られたかの如く咽喉を鳴らし、寝巻きにしている薄手の着物の中に進入してくる。


「っ、ふ…」


触れる手はとても優しい。

真志喜が怯えないように、時間をかけてゆっくりと、その固まった身体を解してくれる。

例え言葉が無くとも愛されているのだと感じられるくらい、優しくしてくれるのが嬉しかった。

けれど、一度その甘美な味を覚えてしまった身体は欲深く。

もっと欲しいと浅ましく甘い蜜を強請るのだ。

それを云える筈もなく、ただただ互いに燻る熱情に身を焦がす。


「た、いち」


目の奥でゆらゆら揺れる、隠し切れない獰猛な色を眺めながら、
まるでふたりで溺れているようだと思った。




作品名:沈む月 作家名:浅井 紫乃