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赤い雨音

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池袋の空は遠い。
高いビルが人を見下ろす様に立ち並び、監視している。
ここに天使が居れば飛び立つ事は出来ないだろう。
一点の光を見上げるような、絶望。

叩き付ける痛みは雨音の為か。それすらも分からない。
体中にまとわりついた鉄錆びた臭いと、かすかに残る硝煙。

霞む視界は、黒ずんだサングラスのせいではない。
確かに離れていく意識。

弟からプレゼントされた同じ型の服が、また一つ無駄になった。
平和島静雄は悠長にそんなことを考えていた。

撃たれるのも、血を流すのも、制服を駄目にするのも、もう慣れたものだというのに、今度は立ち上がる事が出来ない。


暗闇を見ていた彼は、濡れきった手をコンクリートに置いて、体を起こした。
いや、起こそうと力を入れたが適わず、向き合っていた地面に背を向けるのみとなった。

赤色の雨。


そんな錯覚。
大粒のそれが顔面から体から、髪の毛から何から何までこびり付いた全ての色を落として行く。
元々、自分の服には色なんか無かったじゃないか。

それでも、周囲に流れるのは不気味な色の雨。



「…ちっ…」



毛穴から侵入してくる寒気に、殺意が沸く。

ウゼェめんどくせぇ殺す、コロスコロスコロスコロスコロス!



間違いなく、自分は殺されかけた。
誰だなんて、問いただす必要なんて無い。
あいつだ。
今すぐヤツを探し出して、殺してやる。

打ち込まれた鉛は恐らく100を越えているが、彼にはそんなことはどうでもよかった。
一気に昇った血が傷口から漏れ出す事も気にせず、白いシャツや黒いズボン、衣服全体に赤い模様が現れ、また雨に流されて行く。

ようやく膝をついた所で、地面が急に暗くなった。
一瞬雨が止んだ錯覚に襲われたが、それは耳元で響く雨音で否定される。


見覚えのある匂い。
見覚えのある靴。
そして。




「シズちゃん」




見覚えのある、声。
完全に覚醒した静雄は、反射のように軋んだ体中の筋肉に任せて拳を振るった。
寸での所で半歩後退した男の足が華麗にステップを踏み、風圧で何かが飛ぶ。


黒い傘だ。



雨が死んで行く音でかき消されたまま落ちたそれは、濡れ始めたファーの先から伸びる白い手によって救われる。



「まだそんな力があったの?すごいなー、結構撃たれてたんじゃない?バーン!」



安全距離を保った数メートル先から、黒いコートの男が指で拳銃を作り、彼の脳天を貫いた。


「臨也…てめぇ…」


辛うじて体を支えている両足が、力をなくして汚いコンクリートにひれ伏す。
ついた膝からも黒色と混ざり合った赤い雨が重力に負けて流れていた。

いつもなら、こんな傷どうってことない、はずだった。


襲った目眩にまた、全身の力が逃げて行く。
池袋に降り注ぐ雨はやむ事がない。
癇癪を起こした子供の様に泣き止まない空は、崩れ落ちた彼の音の衝撃を和らげる様に降り続けている。

ひしゃげた音とともに投げ出された体を気遣う様に近づいた折原臨也は、拾った傘を掲げ、立ち上がる事が出来なくなったバーテンの男の前にしゃがみ込んだ。




「流石にもう駄目かー」


「いざや…、コロス」


「やだなぁシズしゃん、その体でどうやって俺を殺すの?無理無理、血、止まらないでしょ?」


嬉しそうにコロコロと笑った臨也は、ポケットに手を入れたまま静雄の体に雨が当たらぬよう、傘を傾けた。


「その銃弾ってさ、血が止まらなくなるんだって、ほら、まだ傷口から出てる。あんまり信じてなかったけど、ホントなんだー」


体中に打ち込まれた弾の先から滲む赤色を数えながら、子供の様に彼は笑う。



「医療は進歩していろいろな人を助けられる様になったけど、こういう逆の技術も発達するわけだねー、面白いと思わない?」



おどけた表情。
楽しむ様に意見を求める男の口元を殴ってやりたいが、今の彼にそんな力は無い。
先ほどから、体の自由が利かなくなっているのだ。
雨で体が冷えるせいか、それとも塞がらない傷口のせいか、それとも諦めているからか。


諦めているというか、そう、きっと誰にどんなことをされても死ぬ事がなかった自分がこの状況にある事を少し、信じられなくいるからだ。


「ねぇシズちゃん、人間の心臓が一生に拍動する回数が決まってるって、知ってる?」


「あ"ぁ?」



傘は、倒れたままの体にさされている。
少しばかり季節を外した黒いコートの背中は、色が変わる程に濡れていた。



「人間は細胞分裂に限界があるんだよ、だって不死身な人間なんていないし、人間は普通死ぬだろ?破壊と再生を繰り返して人は衰えて行く、あぁ、心臓は再生しないけどね」


「何がいいてぇ、時間稼ぎのつもりなら即刻コロス」



いつもは力強く低い声はかき消されて辛うじて聞こえる程度だ。
隠す為のサングラスはもうない。
風貌や口調からは少しばかり想像出来ない目元が臨也を睨み上げた。




「そんな事言ったって怖くないよ、シズちゃんもうすぐ死んじゃうんだから」




表情は笑顔のままだ。
全身黒ずくめの、死神のような男は、鎌のように傘を静雄の頭上に振り上げたまま、しかし、その先から聞こえるのは雨が踊る音。


赤い雨。



体から吹き出した、血液。




「シズちゃん。俺シズちゃんのこと殺したい程嫌いだけど、でも、自分の想い通りにならないと許せないんだ」


「んなこと知ってる」




「ははっ、もう虫の息じゃん。孤独死って、世界で一番残酷な死に方じゃない?」



「うるせぇ」



「だからシズちゃんの死に際は俺が看取ってあげるよ、それがいい。せめて寂しくない様にさ」





孤独死の意味も、薄れ行く意識の中では考える事は出来なかった。
死ぬなら、己の手で目の前のいけ好かない男を殺してからが良かったが、その前に自分が死ぬ事が出来た事に少し、安堵している自分がいた。

言葉が消える。
かき消される。
雨の音に。
雨から救う様に差し出された傘の色さえも変えて雨は降る。

汚い色を溶かす様に。


最強をいわれた男があっけなく息絶えた事を、隠す様に。

視界が霞む程に降り注ぐ雨。






「今日は、上を向いて歩こうかな」




男は歩く。
傘の内側から聞こえるメロディに合わせてステップを踏みながら。
濡れてしまった、背中を今度はしっかりと庇って。


雨が降る。
赤い雨。
子供が癇癪を起こしたような煩いそれなのに、どことなく寂しい赤色の混じった、汚い雨。


ゲリラ豪雨といわれたそれは、いずれ止む。
スキップをしながら歩く男はそれでも足を止めなかった。










作品名:赤い雨音 作家名:こと