恋文
「女の子同士の情報管理って甘いから、ちょっと聞いたら色々教えてくれるよ。女子ってそういう話好きだし。でもさ、例えばあの子だって委員会で顔合わせるだけじゃん? たった五回会っただけで好きなんて、疑わしいよね? まぁ、普段から隠れて見てたのかもしれないけど。ころころ好きな人が変わる子とかいるしさ。ドーパミンに振り回されてるんだよ、軽いもんだよね」
指先でペンを弄び、臨也は滑らかに言葉を紡ぐ。いよいよ落日が近付いてきたのか、教室の中は真っ赤に染まっていた。
「お前がどう考えようと勝手だが、本人が言ってないことを勝手に喋るな」
門田が苦い顔で忠告すると、臨也は目を丸くし、それから声を立てて笑った。文化祭前日の喧騒は遠く、笑い声は妙に響いた。
「ドタチンって、お人好しだよね。俺にそういうこと言う人、あんまりいないよ」
「思ってる奴はかなりいると思うぞ」
何を言っても無駄だから言わないだけで。門田は心中でそう続けた。それをわざわざ口に出している自分は、やはりお人好しなのだろうか。門田は先ほどクラス予算に釣銭を返す際、財布からきっちり飲み物代を返していた。
「だって、俺はこんなに人間を愛してるのにさ、皆の言う愛って軽いじゃん。なんだか納得いかないよね」
臨也の指の上で、くるりとペンが一回転する。臨也が度々口にする人間愛は、実際に周囲の人間を押し潰すほど重いものだったが、それを愛と呼べるのか、門田には分からない。人間の愛が全て臨也と同じ形をしていたら、恐らく人類は滅ぶのではないだろうか。そこまで考えて、門田は口を開いた。
「つまり、お前は、お前が愛しているように人から愛されたいのか?」
臨也は手遊びを止めて、門田を振り仰いだ。
「どうかな?」
臨也はストローを挿したきりだったジュースを口元に運ぶ。逆光で表情は見えない。もしそうだとしたら、とんだマゾヒストだ。門田は目の前の異様な生き物と、ただ一点、自分に害を与えないというだけで友情を保っていた。時折ちらりと悪意を覗かせるが、それ以上は無い。もしかしたら、この螺子の飛んだ頭の中で画策しているのかもしれないが。
「教室戻るぞ」
お互いに飲み物を飲み干した頃、門田が臨也に声をかけた。思ったより長くサボってしまったが、最後まで付き合う意志はあった。そんな門田に、臨也がひらひらと手を振る。
「うん、バイバイ」
「……お前も来い」
日も沈んで薄暗くなった教室で、臨也があからさまに顔を顰めた。
「俺、もう帰るよ」
「お前なあ。……ほら、あの眼鏡のツレもちゃんと作業してたぞ」
門田は二つ隣のクラスで、見知った顔が作業していたのを思い出す。臨也と話しているのも見るが、静雄と連れ立って歩いていることもあるという変わった人物だ。門田は詳しく知らないが、見かけによらず剛胆な人間なのかもしれない。
「新羅? 新羅はシズちゃんの付き添いでしょ? 知らないよ」
思いもよらぬ地雷だったようで、臨也は忌々しげに言った。静雄のこととなると不機嫌になるくせに、自分からちょっかいをかけて追い回されているのだから、始末に負えない。
「どうせクラスの連中に見つかるぞ」
廊下は今も話し声で騒々しく、生徒で溢れているのは見なくても分かった。しかし、臨也はどこ吹く風で嘯く。
「窓があるじゃん」
ここは二階だが、臨也には大した高さでは無いだろう。静雄に追われている時には、壁を登ったり飛び降りたり、何らかの技術があるような動きをする。しかし、教室の施錠はどうする気だろうか。
「そういえばお前、どうやってここ入ったんだ?」
臨也ならヘアピン一つで簡単に開けられそうだと思いながら、門田が疑問を口にする。臨也はポケットを探り、得意げに一本の鍵を差し出した。門田の目にはただの鍵にしか見えないが、臨也の次の発言を聞いて目を見開いた。
「マスターキー! の、コピーだけど」
「……そんなもんどうやって手に入れた」
「企業秘密」
言うが早いか、臨也は鍵を門田に投げる。
「施錠よろしく!」
臨也は窓から身を乗り出し、門田が慌てて下を覗いた時には、丁度地面に着地するところだった。振り向いた臨也が門田に手を振る。
「それ、ドタチンだったらコピーしてもいいよ!」
「いらねえよ」
教室の施錠と、ジュースの空パックを押し付けられた門田は、臨也の頭の上にペンキをひっくり返す想像をした。
「明日来るか?」
門田がこう言ったのは、文化祭の手伝いを求めたのではなく、単純に出席日数を配慮してのことだった。臨也は一学期だけで、かなりの日数を休んでいる。明らかなサボりとは別に、数日固まって休む時があり、門田は静雄との喧嘩が原因だろうと見当をつけていた。文化祭なら、朝の出席だけで一日分稼げる。
「ドタチン一緒にいてくれる?」
臨也が再び媚びて見せる。
「どうでもいいからその気持ち悪いキャラをやめろ。鳥肌立っただろうが」
普段より一段とおかしな発言を繰り返す臨也は、すぐにいつものような企み顔に戻って、返事もせずに帰っていった。
門田は手の中のマスターキーを見つめる。こんな物を手に入れている時点で、臨也に出席日数の心配は無用かもしれない。