河童の気持ち
木の葉のさやぐ森。
柔らかに照る太陽の光。
それら全てが調和したこの場所は、妖怪の山と言う。
幻想郷の中でも、妖怪が特に多くいる山だ。
「じゃあ、ここでお別れなのかい?」
「……そうだよ」
男女、いや、女の方は河童だろうか。緑色の帽子に、二つに縛った蒼い髪の毛。背中には大きいリュックを背負っている。
「……やっぱり俺は帰りたくない!」
「だめだよ、人間はここにいちゃいけないんだ」
河童が諭すように言う。
しかし男は、
「今まで、ほんの数日だったけど、突然ここにきて何もわからなかった俺に、にとりは色んなことを教えてくれたじゃないか! お礼もできずに帰るなんて出来ない!」
「……」
男は義理堅く、情に厚かった。けれど河童は、
「……あなたが無事に帰ってくれることが、私の一番の願いです」
「……」
少しの間、沈黙が時を止めるような感覚が、二人を包んだ。
「そうか。それなら俺は帰ろう。だが約束する。にとり、お前のことは絶対に忘れない」
「……はい」
河童、河城にとりは心が痛かった。
幻想郷に連れてこられた外界の人間は、幻想郷にいた時の記憶を全て消された上で帰されるのだ。
つまり、彼がどれだけ忘れないと思っても、それは強制的に、その意思ごと削除される。
「じゃあな、にとり」
「はい……」
にとりは、彼女の生涯で一番辛いであろう別れを、終えた。
それは数日前のことである。
にとりはいつものように、川へ水浴びに来ていた。
「ふぅー、このごろ暑くなってきたなー」
その時だった。
「……え?」
川に、人間が流れていた。
「え、ちょ、わわ、どうしよう!? でもあれ死なないかな……えぇい!」
恥ずかしくはあったが、盟友とも言える(にとりの中でだけだが)人間を死なせるわけにはいかないので、勇気を振り絞って川から引きずり出した。
「だ、大丈夫かな……」
にとりは人間の顔をまじまじと見つめる。
数十分ほどそうしていただろうか、人間が急に目を覚ました。
「はっ! こ、ここは!?」
にとりはというと、あまりに驚いて硬直していた。
「……あ、あの、もしもし?」
「……え、あ、はい!?」
にとりはやっと反応する。
「ここはどこですか?」
「こ、ここは……幻想郷です」
「げんそーきょー?」
人間が聞き慣れない単語に頭を傾げる。
「と、所であなたはどこから?」
今度はにとりが質問をする。
「東京都だ」
「とーきょーと?」
ここでにとりは確信した。
――この人間、外界のやつだな。でもどうしよう……
にとりは外界の人間とやらに出会うのは初めてだった。
「と、とりあえず私の所にくる?」
「……ああ、そうしてくれるとありがたい。なにせ何もわからないもので……すまない」
「いやいや! 私は人間が好きだからね」
「……? すると君は人間じゃないのかい?」
「……私は河童だよ」
にとりは自分の種族を再認識していた。
――そういえば、いつもこの言葉を言ったら、迫害されたんだっけ。きっと今回も……
「おお、そうだったのか! いやぁ、河童を見るのは初めてだな!」
「……え?」
「人間となんら変わらないじゃないか! それにこんなに可愛いし!」
「……うぅ」
この時にとりは、恥ずかしさで頭がいっぱいになっていた。
「じゃあお言葉に甘えてお世話になっていいかな?」
「う、うん! いいよ!」
「ありがとう」
その時の男の笑顔は、にとりの心の中に深く刻まれた。
それからというもの、たった数日でにとりは男を色んな場所へ連れて行ったり、色んなことを教えたりした。それはもう、今まで出来なかったことを、思い切り吐きだすかのように。
にとりはこの数日間、大好きな盟友と、最高の笑顔で過ごした。
そして今、それら全てが瓦解した。
見せた景色、教えた知識、全てがあの男から消える。
そう思うとにとりは涙が止まらなかった。
「……そういえば、この涙はいつ以来だろう」
今までを思い返すと、迫害、孤独でひとり泣いたことはあっても、別れで涙を流したことなどなかった気がする。
「……あんなに笑ったのっていつ以来だろう」
あの人間といた時は、全てが楽しくて、常に笑っていたと思う。
「……」
にとりは静かに涙を拭く。
どうしたって、どれだけ泣いたって、どれだけ悲しんだって、あの人にはもう会えない。
だから、にとりは――笑う。
「楽しかったよ人間! またね!」
人間はこちらに背を向けたまま、手を振った。
にとりは笑った。ここ数日間のことを思い出して笑った。笑っていた筈なのに、泣いていた。
「にとり~、今日は何してるの~?」
厄神がにとりの近くに寄って問い掛ける。
「ん、厄神様。今はちょっと新しい機械の開発をしてるんだ!」
「へ~」
にとりはせっせと手を動かして、厄神、鍵山雛が見たこともないような部品を扱っていく。
「で、それは何の機械なの~?」
「む、よくぞ聞いてくれました! これはキュウリ製造機だよ! これが完成すれば、キュウリの種と水を入れるだけで、簡単にキュウリが出来ちゃうんだよ!」
「へ、へ~、無駄に高性能なのね~」
にとりは得意げに胸を張るが、雛はその凄さをもうちょっと別の方向に活かしてくれないかな、と思うのであった。
そこへ、一陣の風が吹いた。
「ん? 射命丸じゃないか」
そこには烏天狗の少女がいた。
「にとりさん、ちょっと面白い記事が手に入りましたよ」
「ん? なんだい?」
射命丸は少し口角を上げて、
「にとりさんに会いたい人がいるらしいです。それも人間で」
「へぇ、また機械の注文かな?」
「いえ、それがですね……」
射命丸はにとりの耳元にそっと口を添えて囁く。
「~~~」
「……!」
にとりは射命丸から何かを聞くと、一目散に博霊神社の方へ行った。
「……何を話したの~?」
「……厄神様」
「なに~?」
「人間って強いですね」
「……ほぇ?」
平和。その二文字が一番似合う博霊神社である。
「れ、霊夢!」
「お、来た来た」
霊夢が笑みを浮かべて、走ってきたにとりを見る。
「この子でしょ? あんたが言ってた河童って」
霊夢の横に立っているのは、見覚えのある男。しかし少し違う。
「おお、父が言っていた人と同じです……」
「河童だけどね」
男性はわなわなと震える。
それに対してにとりはあまりの驚愕に声が出ないでいる。
「……ま、感動シーンなんて似合わないわ! 今日はプチ宴会でもしましょうか。もちろん、にとりとこいつも含めてね」
霊夢は男を肘でつついておどける。
「宴会と聞いて!」
刹那、急に神社の方から鬼が現れた。
「宴会なら私も入れてもらおうか!」
同時に空からも金髪の魔法使いが降りてきた。
「……ふふ、宴会と言うとすぐに寄ってくるんだから。こんなにたくさんいるけど、いいかしら?」
霊夢は男とにとりに問う。
二人は顔を見合わせて、少し笑顔を作った。
「もちろん!」
その宴会のあと、ほぼ全員が博霊神社で吐いたという。