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7/19 英受オンリー発行日英本  かわいい君はよくまみれ

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アーサーはしばらくその場で思案を重ねているようだったが、そのすぐあとに緑の瞳をくるりと前方に向け、スカーフを初々しく結んだ売場の女性を呼んだ。
 その勢いを持って一つの小ぶりの椀を手に取る。名のある窯のものらしく、オリエンタルな藍色で描かれた牡丹が彼の目を引いたようだ。
 「このシリーズ全部包んでくれ」
 止める隙もないまま、当然のようにそう宣った。
 少しキャリアの浅いであろう女性が、呼びかけにはにこやかに応じたものの、その後のアーサーの言葉をオウム返しのように繰り返し、マスカラとアイラインで大きくした目を丸くする。

 「全部、でございますか」
 「ああ、全部」

 戸惑う彼女の反応ももっともだ。
 彼が全部と言ったものは、目当ての椀もおそらく使用頻度も少ないであろう茶心壷や茶こぼしも含めた全てであり明日から煎茶道を始められるほどだ。
ピース数もさる事ながら、そのお値段が驚嘆に値する。本田がコートの襟に隠れてため息の色を濃くした。

 そこからは売場は店員たちが不憫に思える程の騒がしさだった。棚からストックを取り出し数を数え、包み紙を急いた手でも乱雑にならないようにしかし迅速に巻いていく。

 まるで略奪だ。
 勿論、本当の彼の略奪は目にしたことはなく、これはきちんとした経済行為であるのに、居たたまれなさは何であろう。マフラーを巻き直す振りをして、痛めた胸をさすった。略奪者である当の本人は買った側からもう目移りをし始めて、ほかのシリーズのセットに手を伸ばしかけていたところだった。

 「もっと買おうかな」

 目移りしたその目を、これ以上の略奪を招かない為にもいつも読む空気を敢えて切り裂いてみる。

 「それ、デンマークさんのとこです」
 彼にとっては、そこは幼い頃の寒い体験を思い返す憎らしい名前だったらしく、明らかに眉間に皺と苦渋を滲ませて、カップを元の場所にそっと戻した。元からフランシスの家のものは手と視線が避けているようだ。
丁度いい暖色の明かりが曲線をもったガラスのグラスを照らして、彼がその美しさに目を惹かれないようにと待ち時間の間袖を掴んで拘束していた。

 ああ、あれに似ている。
 大戦景気の波に乗り、雨の次の日の筍のように生えてきた成金たち。まぁ、それもアルフレッドの引き起こした金融危機で全て薙ぎ倒されてしまった訳だが。
 その品のない成金たちと彼は根本の構造も耐えてきた侘しさも違うだろうが、今の彼の消費行動は紙幣に明かりの代わりにしたものと似通う。

 彼の滞在先が都内のホテルから本田の家に移ったのも、この度を超えた買い物が原因だった。

 充分な広さを有していたはずのスーペリアの部屋がこのような無計画な買い物のせいでぱんぱんに膨れ上がってしまい、バカンスを三分の一も消費しないところで破綻してしまったのだ。

 そのときも彼は、聳え立つ包装の完了した商品の山に囲まれ、普段より多めのお茶を啜って本田に軽く挨拶を交わそうとした。
訪日してからの彼の生活を聞いてみれば、先述したような暴飲暴食がほとんどで、元の輪郭を保っていられるのが不思議なほどだった。
 化粧箱のタワーの中でお茶をしていた彼に「家にいらっしゃいませんか?」と誘いをかけたのは、この買い物の監視と、暴食はともかく、暴飲も抑制する為だ。
 それまで思う存分の発散を続けていた彼は、本田の目もあるからだろうか、少し消費をおとなしくしている様子だったがやはり自覚症状はなく何もかも飲み込んでいく。

 買い物でも食事でもお茶でも眠りでも、普段目にするより彼の今の行動はたががはずれている。
 一瞬、彼が連続した緊迫から解き放たれた反動で、道筋が粗い発散の道に傾いているのだろうかと類推したが、どうやらそれも外れているらしい。
 依存によく見られる、欲と乖離した後悔も全く写っていない。またそういった病に付き物の、精神のゆらぎや発散を抑制されての不調もみられない。
 あくまでいつもの彼の振る舞い・言質を有しているから、たちが悪い。
 欲望が単純な足し算と引き算で処理できるものならば、今頃本田はこんな心情に落としこまれはしないだろう。

 「んー、でももうちょっと欲しいんだよな、もっと、別なものも」
 もっと、と彼が呟く度にまことに勝手ながら本田の心地が冷えていく。別に、本田自身にせがまれている訳ではないのだが、なぜだか急いた気持ちになるのは仕方のないことなのか。世話好きの性分は、すぐに抜くことはできないらしい。

 もとより、彼も世話好きなのはよく知られた事実で、逆に世話を焼かれることを逃れているスタンスも多く取っていた。今現在のこの状況は、彼のそんな信条には違わないのだろうか。
 逆境を与えれば与えるだけ血反吐を吐きながら、指先を泥で削りながらも自分の胆力を行動で見せ付ける、そういう人間。そういう強くてきらきらした人間だと、本田は彼のことをそう認識していたのだ。

 そのあとにいくら驚愕とため息を積み重ねても、それだけは揺るがないことだった。
 決して決して揺るがない、本田の心に刻み付けられた黄金律なのである。

 店員達の総力をなした、綺麗な折り目で包まれた化粧箱を眺め、本田が一人感嘆する。当の持ち主は支払いを済ませた後は笑いも少なく売り場の何処かに視線を飛ばしている。
 本当に底の見えない人だ、と略奪の現場に似合わない思慕を抱える。

 結局その茶器たちは、本田の家を通過することなく均一に包まれた状態のまま彼の家へと送られることとなった。これじゃただの道楽だ。
 呆れは封印したと思っていたのに、そんな考えが言語中枢をよぎり、再び本田が襟巻きで口元を隠した。




 
 もっと。もっともっと。

 そう言う唇も舌の動きもどこか蟲惑的に感じられるのは、昼の時間に限ったことではなく、夜にも例外なく発揮されるからだ。

 照明を落として、明かりは障子の和紙を通しての月明かりぐらいだ。人工の街灯の光はここまでは届かない。
 彼の舌は多く唾液を纏って本田の顎辺りの皮膚を舐める。動物に舐められるのとはわけが違う。親愛ではなく確かな欲を持って互いに触れ合う。彼の肋骨の上に載った肌をなぞるように撫でると、負けじと彼の唇が降下して首筋を舌先で辿った。
 彼との人間関係を分類すると友人、であることに間違いないのだが、それは明るい日の下での事でそれが翳れば二人の関係のもう一つの側面が現れる。体の関係を有した友人、平たくリベラルに言えばセックスフレンドだろうか。慎みのない表現に自ら辟易する。

 布団にほぼ裸の状態のまま転がっている、彼の額と自分の額を合わせる。
 彼の体温が薄い皮膚一枚の差で伝わり、口付けに備えるために本田は目を閉じた。最初の頃の口付けこそは、こうして色の違う前髪が混じっていくのをずっと眺めて感慨に唇を合わせた後も浸っていたが、その先を求められる今の状況では、まどろっこしい所作はできるだけ避けたほうがいい。
 彼の息の荒い唇をふさいで、唾液が合わせた粘膜から伝わっていく。