ジャンク
じゃあ何をしているつもりなんだ。完全に馬鹿にされている。表情でわかる、それに、こんな惨めな話にこいつが飛びついてこないはずが無い。
「ただ純粋に心配をしているのさ」
出ない声を無理矢理引っ張り出して帰れと罵ってやりたかったが、その体力さえも惜しくて布団を顔まで被せて光と音を遮断する。おやまぁ、なんてどこかの後輩のような反応が羽毛の向こうから聞こえたけども無視をした。頭には血が上りすぎた時のようにぐらぐらした感覚があった。落っこちるような、ひっくり返るような。そういえば忍者をやっているからこそ落ちたり引っ繰り返ったりなんて当たり前だが、普通に暮らしてたらなかなか無い感覚なんだろうなと思って、そんな思考回路はそこで強制修了された。重みを感じたからだ。ずし、という、嫌な予感といえようか、いやこれは確信だった。
「さぶろう、」
嫌になって布団から顔を出した。そもそも今の今まで寝ていたのだ、眠くなんか無い。呼びかけた相手はなぜか竹谷の姿で、一瞬吃驚したがどうでも良かった。こいつの気まぐれには着いて行けない。
「重いんだが」
「暇なんだ構ってくれよ」
一瞬目を離したらそこに居たのは雷蔵の顔をした三郎だった。つまりいつも通り。なにがしたい、こいつ。
「私と居て何が楽しい」
しかも今は風邪という菌付きだ。忍者であろうという人間が、怪我でなく病で床に臥すなど情けない。そう言って笑いながらこの部屋に入ってきたのがこいつだ。
そんな奴が私の上に圧し掛かって、構ってくれときたものだから困る。そもそも普段は三郎が居るところには雷蔵が居る。私の勝手な認識で、彼等は二人で一つだった。だから片割れだけとなると、なんとなくバランスが悪いのだ。特にこちらは飄々としていて掴めない。山の天気より読めない。
「わたしは兵助が好きなんだ」
「そうか」
「一世一代の告白を、そんな」
「嘘をつくな。寝かせてくれ」
「一緒に寝るか?」
「馬鹿か」
中身も外見すら露呈する気のない男。人間離れしたような物言い。変な男だ。昔からその印象はひとつも変わらない。五年も一緒に居るのに、なにもわからない。頭が痛くなってきてまた考えるのを止めたくなる。ああたまには、熱を出すと云うのも良いとすら思った。なにも考えたくない、考えないという選択肢があるというのはすばらしい。
「兵助」
無視を決め込むことを決めた。あとで何か言われても、覚えていない、で済まそう。
「兵助」
聞こえた声は自分のものだった。今はきっと私の姿をしているのだろうなと思った。そしてだんだん読めてきた。お前がわざわざここに来た意味が。そして正直すこし、面倒だなと思った。
「兵助、わたしは誰だ」
彼だけが持ち得る悲しい疑問だった。そしてそういう感情に陥るたびに、彼はわたしのところへやってきてはそうして嘆くのだ。飄々と生きる為にこうして時より、どん底まで暗く黒く落ちていく。一人でやりたまえよ、そういうことは。いっそそう言いたい。
「鉢屋三郎だろ」
わたしはいつもそう言った。いつだって同じ事を言ってやっては、いつも彼の顔を見ないように努めてやった。
「わたしはわたしが分からない」
だろうな、私もお前は分からない。もはや理解しようともしていない。もとよりそう云う、哲学的なことに興味はなかった。そんなことしている間があるなら忍術の一つでも覚えたいとすら思った。頭が痛い。ず、と身体から重みが取れて、三郎が起き上がったのがわかって、なんとなく視線を送ってみた。顔は雷蔵だった。いや三郎か。
「わたしが誰か、兵助の知らない誰かに変装していたとして、死んだら気付いてくれるかい」
「気付くわけ、ないだろ」
「そうだな」
「変装名人が、何を言う」
くすりと空気が揺れたのが分かった。嫌な感じがした。こいつはいつも見透かしたような目で、何もいわずに心の中になんでも掻き集めて溜め込んで勝手に暗くなってこうして私の所に来て、こうして意味の分からない会話を繋ぐ。そんなことを言うなら素顔を見せてみろ。言いたい衝動を、私がどれだけ抑えているか。
「わたしは誰だ」
「雷蔵の顔をしているだけの、鉢屋だろ」
「…そんなにわたしが嫌いか」
自分自身への問いかけか?私に聞いているのだろうか。
答えもわからず、答える気すらなかった。三郎がこの調子になると、引き擦り込まれて自分まで暗くなる。そしてそういう自分が嫌いだった。そういう、人間味。一番持っていないのは自分だと知っていた。
「いい加減にしろよ、もう、頭が痛い」
熱だからだろうか。風邪だから?完全に苛立っていた。
「そう言うなよ、久しぶりじゃないか」
「なにが」
「こうして二人で話すのも」
まぁ、そう言うなら。そう言って、鉢屋はだるそうに立ち上がった。
そうしてもうそれ以上何も言わずに出て行く。あの男はそうして、私の中にじわりじわりと侵入してくるのだ。まるで寂しがるように、まるで孤独な猫のようにふらりと寄り付いては、まるで私しか居ないのだとでも言うように弱くなって、縋ってきて、そしてまた飄々と、雷蔵と並んで笑うのだろう。私の中身を掻き回して、居なくなる。死んだら?知るか。彼はなんのために私を求めるんだろうか。
勝手に弱くなって隙を見せて、必要とされているような勘違いを私にさせて、そういう鉢屋三郎が、私は嫌いだった。最終的に欲してしまうのは私だ。分かってやっているんだろうか。だとしたら最悪だ。最悪な男だが、私は彼の全てを一度でいいから見たかった。滅多にないというより一度も感じたことのない、他人への欲求を感じる。まるで良い感情ではなかった。
考えたくなかった。せっかく熱に浮かされたのに。