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音楽の人

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タワア

(宇佐見とハネオ)



「東京タワー。見えるとこに住みたいな」

カーテンのひらきっぱなしだった窓に向かってもそりとつぶやいたその声は、羽ぶとんの防音効果のせいで半分も聞き取れなかった。

「え……、ごめんもっかい言って。つか寒いんですけど」
「あ、ごめんよ」

ベッドはひとりが身をおこせばもうひとりが巻き添えに凍えるのを免れない程度の広さというよりもいっそ狭さで、晴れた冬の朝のねむたげな光をぼんやりと照り返すその背中の、おそろしく文学的な稜線を眺めているのは決して退屈ではなかったけれどなにしろ寒かった。
悪びれずごめんと言って毛布のなかに帰ってくるものと思っていた温度が、そのままあっさりと遠のいて目がさめる。
足元のほうから、床が冷たいぞとごちる声が聞こえた。

「あれ、何。起きんの」
「え、起きるよ。言っとくけど今日しごとあるからね。忘れてないよね」
「わす……れてない」
「うん。忘れてたよね」

いや忘れてません。
忘れたかっただけです。
できれば昨日の夜のことも。

浴室へ向かうらしい裸足の寒そうな音を聞きながら、頭をかかえた。
ためいきをついたらうめきが出た。
違う場所から家路をたどる途中でばったり出くわした見知った顔はとても魅力的に笑っていて、ねえうちでのまない、という言葉が彼から出なくとも自分は彼を誘ったと思う。

バンド内恋愛禁止。
生々しさをともなってもまだあほくさい冗談でしかないその言葉の響きにどうして押し潰されそうなんだろう、一夜にしてなやましいものと化してしまった彼の、背中や首もとや脚のはこび方、くちびるだとかまして声なんてものに、いつも通りの仕事の場でいつも通りにふるまうだなんて到底できそうにない。
Tシャツを透視してほくろを数えてしまいそうな自分にいよいよげんなりした。

「うさみー」

ほそい声が突然自分の名前を呼んで、半分窓から逃げ出していた意識が羽ぶとんのなかに戻る。

「な、なに」
「どうすんの今日。このまま行くの?」
「ああー……、」
「昨日と同じ服。あーやしー」
「……うん。帰るわ一旦」
「あ、そう」

まるでしがらみのないふうに真っ白なタオルで髪を拭きながらくるりと背を向けた、その肩にわずか落胆の感じを見出だしたのは目の病気だろうか。
違うな。心の病気だな。
とにかく一刻も早くこの部屋からずらかることにきめて、裏返ったシャツや丸まった靴下なんかを近いほうから引き寄せては身につける作業に没頭した。

「……ハネオさん」
「ん、」
「じゃ、帰ります」
「はいはい」

流し台の前でコップにオレンジジュースをついでいたハネオさんに声をかける。
うすい着衣を押し上げる骨のかたちやグラスよりも脆そうな関節のつくりに目をうばわれそうになって、急いで通りぬけた。
おそらくはグラスに口をつけながらうしろをぺたぺたついてくる(まだ裸足だった)ハネオさんの気配に圧されながら、玄関にたどり着き、スニーカーを履こうとややかがんだ、その背中はたいそう無防備だったんだろう。

「宇佐見」

肩を押された。
と思ったときには今度は引かれていて、抵抗の余地もなく身を返された先に、くちびるを引きむすんでものすごく凛々しい顔をしたハネオさんがいた。

「もって。」
「……え、」

ずい、と鼻先にさし出されたグラスを反射的に受け取る。
なみなみとそそがれたまま幾ぶんも減っていない中身に気をとられてかかとをふらつかせたとき、ふいにハネオさんの顔が消えた。

「わ、っ」

こぼれた。
グラスのなかのオレンジジュースが、ハネオさんの、肩に。

「なんにも言うことないなら、このまま帰って。」

やまぶき色のしみのついた白いTシャツの肩が真下に、乾いたばかりのやわらかい髪と息づかいが首筋にある。
思いきりよく抱きつかれたのだと認識するのにしばらくかかった。
硬直した肩甲骨を少しのびた爪の感触に押されていて、ふといつも視界の隅でギターをいじっている指先の景色を思い出して、それから夜を思い出した。
あたまの芯が液化していくような気がした。

「いいよ、ほっぽっても。ガラスじゃないからそれ」

割れないから。
だから早く逃げたら?
と、ハネオさんは言った。

いや、割れるだろう。
と、俺は思った。
あなたのこころは割れるだろう。
とても静かに。パシンとかいうふうに。

「ごめん、ハネオさん」

作品名:音楽の人 作家名:むくお