連続実験:症例H
第六話:オール10の男(荒井)
やっと僕の番ですか。
それでは自己紹介しておきましょう。僕は、二年B組の荒井昭二といいます。
はじめにお断りしますが、僕がこれからお話するのも、日野さんの話です。それも、今までの方の話のように日野さんが間接的に登場するというわけではありません。これは、僕が日野さんに直接対峙することで得た体験なのです。
僕がこの話をするのは、偶然でも運命のいたずらでもありません。僕は本来、別の話をするつもりでしたから。でも、今までの流れを考えると、どうやらこちらの話をした方が適当なようです。
皆さんはこれまで、通知票で全教科最高評定をとったことはありますか?
残念ながら、僕はありません。勉強だけでしたら手の届かない話ではないのですが、僕は運動があまり得意ではないのですよ。
ええ、試験では学年十位以内の常連です。しかし、上には上がいるんですね。三年生の方ならご存知かもしれませんが、日野さんは、学年一位を常にキープしているのです。
……おや。皆さん、ご存知ありませんでしたか。無理もないですね。この学校の試験での順位は、掲示板に張り出されるわけではありませんから。
坂上君達一年生は、まだ経験がないのでしょうか。この学校では、試験の成績をパーソナル・コンピュータにデータ入力した上で、紙媒体に出力します。もともとは上位から最下位まで表になっているのですが、それを一人ずつ切り分けて各自に渡しているのです。
ですから僕達が知ることができるのは、自分の総合順位と各教科ごとの順位、そして仲の良い友人の順位だけです。
つまり皆さんは、日野さんと成績を見せ合うような関係ではないということですね。
何故、僕が日野さんの成績を知っているのか。あれは以前、あの人から映画に関するインタビューを受けた時のことです。それが僕の彼との出会いであり、本来なら、それきりで終わるはずでした。ところが……日野さんはインタビュー中にシャープペンシルの芯が尽きてしまい、僕の目の前でペンケースから替え芯を取り出しました。その時、ペンケースから一片の紙切れが零れ落ちたのです。それこそが、日野さんの成績を記した断片でした。
「何か落としましたよ」
僕はそうとは知らずにそれを拾いあげ、そして信じられないものを目にしました。
日野さんは、総合はもちろん、全教科で学年一位をとっていたのです。
普通、総合で上位の成績を修める者は、決してすべての教科で突出しているわけではありません。むしろ各教科では、その教科を得意とする、決して総合では上位に食い込むことのない者が一番をとることが多いのです。
ところが、日野さんときたら……全教科文句無しの一番なのです。点数を見ると、決して満点ではありません。でも、学年の最高得点を叩き出しているのです。
僕は目を疑い、日野さんに尋ねました。
あなたには、苦手な教科はないのですか……と。
すると、日野さんは何でもないことのように澄ました顔でこう言ったのです。
「ないな。俺はオール10なんだ」
あなた、それがどんなに恐ろしいことなのかわかりますか? オール10をとることと、学年一位をとることは、それぞれ一方だけなら、それほど難しいことではありません。10をとることは、一番でなくてもできます。一番をとるだけなら、ひたすら机に向かって勉強に励めばいいのです。でも、そのどちらをも達成するというのは、もはや人間の領域を超えていますよ。
僕は、信じられませんでした。いえ、信じたくありませんでした。自分より何もかも優れ、そして一生超えられないであろう人間が存在するなんて、許せる筈がありません。
僕はまず証拠を要求しました。口だけならなんとでも言えます。この目で通知票を見るまでは、日野さんが嘘をついている可能性も考えていました。でも、日野さんはあっさり僕を自宅に連れてゆき、前年の通知票を見せてくれたのです。
……彼は、本物でした。成績表は10で埋めつくされていました。
僕は、何か秘密があるに違いないと思いました。普通に努力しているだけで、そんな成績を取れる筈がありません。能力が飛躍的に高まる薬を服用しているとか、悪魔と契約しているとか、あるいは単に画期的な方法で試験問題を手に入れているとか……とにかくそういったことでもなければ、ありえないと思ったのです。
僕はその秘密を暴いて、白日の下に曝そうと考えました。どんな方法を使ったと思いますか?
……いいえ、違います。本人に直接聞いて、答えてくれる筈がありません。僕は日野さんに気付かれないように、彼を監視することにしたのです。
日野さんは、まったく尻尾を掴ませてはくれませんでした。それどころか、普通の努力をしている姿さえ、確認できませんでした。授業中は窓の外に視線をやって上の空な時もありますし、休み時間は友人と戯れているようですし、放課後は部活動に励み、帰宅後は夜十時を過ぎる頃には消灯してしまいます。塾に行っている様子も、ジムで鍛えている形跡もありません。普通の高校生のように日々を過ごしているに過ぎないのです。
何もしていないのに優秀だなんて、それこそ馬鹿げています。僕はますます日野さんには裏があるという考えを強めました。でも、監視には限界があります。僕にも僕の生活がありますから。そこで強行手段に出ることにしたのです。僕が何をしたか……あなた、わかりますか?
僕は、日野さんを監禁することにしたのです。そうすれば彼を四六時中観察できますし、秘密の行動を行えずに成績を落とすことも考えられます。これは実験です。僕の疑問をすっかり解き明かすための実験なのです。
正確なデータを得るためには時間が必要でした。そこで僕は、夏休みを利用することにしました。夏休みには、新聞部の合宿があります。僕は合宿の前日に彼を家に招き、睡眠薬入りのおしるこドリンクをご馳走して、まんまと僕の部屋のクローゼットに閉じ込めることに成功しました。
僕は日野さんをロープで縛り上げ、口に布切れを噛ませました。眠りから覚めた彼は、はじめこそ驚いていましたが、特に暴れることもせずおとなしくしていました。彼は自分が圧倒的劣勢にあることを瞬時に悟り、最善の対応を選んだのです。すなわち、逆らわず僕に従うこと。賢明ですね。もし日野さんがそこで騒ぎ出していたら、僕は彼を殺してしまっていたかもしれませんから。
僕の家族は、僕のすることにあまり干渉しません。放任ではありませんよ。僕は信頼されているのです。ですから、その点の心配は無用でした。
僕は心置きなく日野さんを観察しました。一日三食僕が用意した物を与え、三日に一度はお風呂に入れてやりました。彼は抵抗するどころか、逃げ出そうともしませんでした。完全に僕の言いなりです。命令すれば何でもしたでしょう。でも、僕は彼を飼い殺したいわけではありませんでしたから、人間の尊厳までは奪いませんでした。
夏休みの間、彼は何も変わったことはしませんでした。おかしな薬を飲むこともなければ、怪しげな儀式を行うこともなかったのです。もちろん、勉強はさせませんでした。