君色フィルター
お笑いが重要視されるというとても稀有な特徴を持つこの学校で、彼はまさに水を得た魚のように輝いている。登校時に一笑い、部活中に二笑い…それは授業中や休み時間にも及び、彼が自分の家の扉を閉めるまでそれは続いているのだ。彼の一挙一動足に誰もが期待する。次はどんな笑いをさせてくれるのだろうか、と。
ユウジさんはカッコ良い。どこの誰よりもカッコ良い。
雑誌の表紙を彩るどんな俳優も、例え白石部長だってユウジさんのカッコ良さには勝てないだろう。
「おいおい流石に言い過ぎやろ」
「やって事実なんやからしゃーないっすわ」
謙也君は不思議なものを見るかのように眉を顰め、手に持ったスプーンを俺の顔の前に突き出した。不快だと声に出そうとしたがそれよりも先に、横に座っていた白石部長に叱られ謙也君は渋々スプーンを再びスープの中に戻す。別に白石部長がカッコ悪いとか言ってないのにと小さな声で呟くと、部長がハハッと軽い笑い声を上げた。
つうか一人で昼食を取るつもりだったのに、何でこの人達は勝手に人の前の席に着席しているのだろうか。確かにこの食堂は全席自由だけれども…。せっかくiPodでユウジさんがこの前やったお笑いライブビデオ見ようと思っていたのに。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、謙也君はこれまた騒々しくスープを平らげ、白石部長は俺の顔を見ながらニコリと微笑んだ。…なんか怖いんだけれど、この人。
「ユウジさんには及ばないけど、カッコええと思いますよ、白石部長」
「そらまたおおきに」
「ちょ、ちょっと待った!俺はどうなってんねん!」
謙也君はバンッとこれまた耳障りな音を立てて椅子から立ち上がる。
「白石部長の次は小石川副部長と師範がカッコええと思いますわ。その次は千歳先輩に手塚さんに…」
「た、他校の奴混ぜんなや!」
「まあ手塚君がカッコええのは認めるわあ。夏大会の気迫は凄まじかったからな」
白石部長の感嘆交じりの声に謙也君がブーブー言いながら席に戻る。恐らくユウジさんとそのほかの愉快な仲間達に対する『カッコ良い』の意味が違う事自体、謙也君は気付いていないのだろう。ユウジさんは別格だ。白石部長達に対する『カッコ良い』は男として尊敬しているという意味なのだ。こうなりたい、こうありたい、と将来の自分に対する憧れの対象と言った方がいいのかもしれない。
だが、俺は一度だって『ユウジさんになりたい』だなんて思った事はない。
別に尊敬していないという意味ではなかった。良し悪しは別としてあの人の笑いに対する情熱は確かなものであるし、普段からクールと評される自分は少しそこから学んだ方がいいのではないかとも思う。しかしそれはスピードテニスに拘る謙也君にも同じ事が言えるわけで。
「ユウジもそらカッコええとは思うねんけど、お前がそこまで言うようなキャラやないやろ」
「たぶん謙也には一生わからんと思うから別にええですよ」
「はあ!?」
「だって、謙也君にはあらへんやろ?」
…『ユウジさんフィルター』が。そう続けて言うと更に謙也君は首を傾げ始め、ううーんと唸りだしてしまった。その横では白石部長が腹を抱えるようにして必死に笑いを堪えている。
この人には分かっているのだろう。フィルターなんて無くてもこの人はずっと頭が良いのだ。別に成績優秀…という意味ではない。大変広い視野をこの人は持っているということだ。まあ成績も優秀だけれど。
「謙也君は一生手に入らんモンですし、ええやないですか。つか手に入れたらシバきますわ」
「お、お前先輩に向かってごっつ怖い言うなや!お前どんだけ心狭いねん!」
「狭いのも上等っすわ」
視野が狭いと言われようが、どんなに盲目的と言われ様が、俺の世界の『唯一』の筆頭はユウジさんだ。それ以上、それ以下もない。他の尊敬する人々が星ならば、ユウジさんは太陽。星々は人に道を教えるけれど、何より太陽がなければ生きてはいけないのだ。
バカみたいなフィルターだと人々は罵るだろう。視野を狭めるだけだと、捨て去ってしまえ!と罵ってくる奴もいるかもしれない。
だが、そんな奴らに俺は言ってやるのだ。『お前ら、本当に光り輝く世界を見たことはあるのか』と。
「まあ、俺だけで十分ですけど」
「何やねん。もうええわ!」
「あ、謙也君。今の俺の意見が分かるようになったら絶対に言ってくださいね」
「は?何でやねん」
そん時は全力でそのフィルターぶっ壊してやりますから。
笑顔で俺がそう言うと、謙也君は少し青い顔をしたまま、持っていたスプーンをそのまま床に落とし、逆隣に座って談笑していた女子生徒に大層顰蹙をかっていた。