残像
「正臣!」
ぱしり、と手を掴むと、やっとその顔は振り返った。
「ん?」
「お、置いてかないで!」
池袋にまだ慣れていない僕は、人ごみをかき分けて進むことだけで精いっぱいで、まともに歩けやしない。すぐに正臣の姿を見失いそうになる。慌てて掴んだ手に、僕は心底安堵した。
周りは人がどんどん流れていく。気を緩めたら、すぐそれに流される。池袋という町に飲み込まれそうな気がして怖かった。
「あー、悪い悪い!」
「僕、まだ池袋に慣れてないから……置いてかれたら本当に迷子になっちゃうよ」
「いやいやぁ、帝人みたいなのがはぐれちまったら、確かに喰われそうだよな」
「えっ何に!?」
まだ心臓がうるさい。本当に、本当に、僕は恐怖を感じていたのだ。
一人にされてしまったら、きっと帰れなくなる。しかしずっと手を握っているわけにもいかない。だからといって、正臣についていける自信もない。
迷いながら、やはり手を握ったままなのは恥ずかしいと思って、正臣から離れたが、またすぐにその手を握られた。
「冗談冗談。置いてかないから、ちゃんとついてこいよ」
正臣はにっこりと笑って、僕の手を引き歩き出した。今の僕に頼れるのは、この体温と背中しかない。正臣だけが、僕の道しるべ。そう思うと、正臣がすごく大きく見えて、僕はまるで子どもみたいに安心した。
正臣が人ごみをかき分けていく。僕がその後ろをついていく。
――正臣が、僕の手を引いている内は
――僕は迷子になんかならない。
「竜ヶ峰くん?」
その声に、途切れていた意識が目覚める。反射的に声の主を探すと、目の前に園原さんがいた。
「園原さ……」
園原さんの困惑した表情。一体どうしたのだろうか、そう考えるまでもなく、手の違和感に気づいた。
「あっ……ごめん!」
思い出した。園原さんと別れるその直前、僕は無意識に帰ろうとする園原さんの手を握ったのだ。引き留めたる事情などなにもなかったはずだ。ただ、なにか、強烈な既視感を覚えて。
かっと熱くなり、慌てて手を離す。手にはまだ生々しい温度が残っていた。でも、園原さんの手を握れたというのに、なぜか微塵も嬉しさがこみ上げてこない。恥ずかしさの後には、根拠のない虚しさだけが残っていた。
「大丈夫ですか?」
「そ、その……うん、大丈夫。じゃあまた明日!」
僕はすぐにその場から離れた。なんだか、これ以上園原さんと向き合ってはいけないような気がしたからだ。
掌がまだ熱い。でもそれは、恋愛感情からの火照りではなくて。あの時の友人と、同じ温度を帯びている。
――もうあの手を握ることはない
――あんなにしっかり掴んでいたはずなのに
先に手を離したのは、どっちだっただろうか。なくなってしまった道しるべを思い出して、帝人ははっと前を見た。人ごみだけがある。通り過ぎていく人ごみは、自分を置き去りにしてゆくようで、無意味に物悲しい。
だけど自分は、もう、手を引かれなくても歩いていける。
それに気づいた時、帝人はとてつもない喪失感を感じて、少しだけ泣きそうになった。もしかしたら、僕は、この町に。