禁断の×××
垂れた糸を引っ張った。
それは何の変哲も無い糸。
100円均一にでも売ってそうなただの糸。
僕の足元に伸びていたから拾い上げて引っ張った。
ツンと抵抗があって、先に何か繋がっているのだと思う。
何故だか僕はその糸が気になって、止めておけばいいのにと頭のどこかの僕が囁くのを無視して糸を巻き取りながら進んで行く。
最初は中腰の状態で居たけれど、腰が痛くなりそうだったので普通に立った。
ぐるぐる ぐるぐる と巻き取られていく糸。
人差し指、中指、薬指、小指、その4本を揃えて、周りに糸を巻きつけていたけれど、僕の指の肌をいくらか隠すぐらいになっている。
それでも飽きずに糸を巻いていく自分がなんだか滑稽だった。滑稽だと思ったところで、笑いがこみ上げてくることはなく、ただ淡々と糸を巻き取る作業を続けていく。
暫くすると終着点が見えてきた。
真っ白な何も無い世界の中に浮かび上がる黒い穴。
どうやら糸は其処から来ていたらしい。
時間感覚はなかった。どれだけこの作業を続けていたのかはわからない。
ただ、巻きつけた糸のせいで片手の指は殆ど見えなくなるぐらい、動かすのが困難なぐらいには巻き取る作業をしていたようだ。
糸を巻きつけた手をグッと引いてみれば先ほどよりも近い感覚で引っかかりを覚えた。
もう一度、思い切り力を込めて引いてみる。
糸が切れてしまうかと思ったけれど、意外にも丈夫だったようで穴の中からコロリと真っ赤な林檎が転がり出てきた。
真っ白い世界の中に真っ黒い穴から出てきた、真っ赤な林檎。
コントラスの為か、毒々しいまでに赤い林檎が際立って見える。
まるでレプリカのようだ。
しかし、出てきた瞬間から香る甘い匂いは本物だと主張していた。
糸の巻きついた手を引っ張れば林檎もこちらに向かってやってくる。真っ赤な林檎には真っ赤な糸が括り付けてあって、僕の手にもぐるぐる巻きにされた真っ赤な糸がある。
林檎を足元まで手繰り寄せて拾った。
食欲を削ぐ様な見た目に反して、香りは食べてくれと言わんばかに甘く香る。
一口だけならいいかな。お腹壊さないかな。なんて非現実的な世界の中で現実的なことを考える。
服で齧る部分を擦って拭いた。
もう一度匂いを嗅げば自然の唾液が出てきてそのまま誘われるように、赤い赤い林檎に歯を立てた。
サクリ
(あれ・・・)
今まで起きていたのか寝ていたのか、瞬間的に世界が切り替わって見慣れた天井が眼球を通して脳へと映像を投影した。
そうして数度瞬きをすることによって、現在の状況を把握し始める。
(夢・・・)
そうだ、あんな非現実的なことがあるわけがない。
夢。夢。
そう何度か声に出さずに呟いて、それでも鼻腔を擽る気がする甘く魅惑的な林檎の香りが離れない。
赤い糸を巻きつけた指は、もちろん自由に動くし、糸も巻きついていない。
さらりとした上質なシーツの感触が伝わってくるだけだ。
まだ少し寝ぼけた頭で見た夢を考える。
真っ白な世界
赤い糸
赤い林檎
黒い穴
(僕は・・・・)
ガチャリ
思考を中断させるかのようにドアが開いた。
「あれ?帝人君起きてたの?」
爽やかでいて色を含んだ声と共に艶やかな黒髪から水を滴らせた臨也さんが優しく、柔らかく微笑む。
ぼんやりとした頭で応えずに視線だけを投げた。
(真っ黒な穴)
「寝ぼけてるの?可愛いね」
愛おしそうに呟かれた台詞はどこかの上辺を滑って行く。
お風呂上りであろう、いつもよりも体温の高い手が僕の頭を撫でて、額に、瞼に、鼻先にとキスを降らせていった。
最後に柔らかく唇にキスをされる。
(林檎の匂い)
お風呂上りの臨也さんからそんな匂いがするはずがないことは頭の隅で分かっている。
慈しむ様に頬に添えられた長く綺麗な指にチラリと赤いものが掠めた気がした。
(赤い糸)
しかし、もう一度見直したときにはいつもの白い指だけが映る。
(そうか、僕は)
「臨也さん・・・」
掠れた声がまるで自分のものではないようだった。
糸を巻いていたほうの手を臨也さんに向かって伸ばせば絡めるように繋がれる。
それに例えがたい安堵と幸福感が溢れてきた。
(ごめんなさい)
(後悔はしていないんです)
誰に向けた懺悔なのか。
自分でもわからぬまま、赤い果実のような瞳に酔いしれながら甘い口付けを貪った。