ラブフラグ
「いーの?」
「うん、あとで返すわ」
「今度は誰?」
「フランの知らない女の子」
女癖わるいなァ、そう言ったらまるで何も知らないみたいに屈託なく笑うので俺も笑った。フェンスに並んで肘付いて、学校より向こう側の世界を眺める、これはもう日課だった。ビュオ、と音を立てて風が吹く。初夏の屋上だっていうのに風は少し冷たい。銜えていた煙草からのびていた白煙も風下へ、つまりアントーニョの黒髪へ混ざって消えた。
「紹介してよ、今の子」
「いややわー、普通やで」
「普通が一番じゃない?最終的に」
「最終的にもう会わへんと思うし」
なんだそれと思ったことは噛み殺して声には出さないことにする。高校上がって三年目の夏、さすがにもう呆れるとか怒るとかもない。アントーニョはこの三年間ずっとこの調子だった。誰も好きじゃない、来るもの拒まない、去る者も追わない、責任感の欠片もない。
ブレザーの裾がピラピラ揺れる。煙草の煙がアントーニョの髪に付くのが嫌で、フェンスに押しつけて消した。ポイ捨て厳禁、なんてことはない。俺の手から離れたもはやゴミと化したそれは、落ちてますますゴミになった。
「最低やぁ」
「煙草のポイ捨てより女の子のポイ捨ての方が最低だと思うけど?」
「捨ててへん、俺のものにしたつもりないし」
「うっわ…」
いつになく哀愁漂うみたいな口調で言うから、茶化すべきか話を聞くべきか迷ったけど茶化すことにした。こいつの問題はこいつで片付けるだろう。女の敵ー、っつって笑うと、アンもほら、笑う。
無言の心地よい空間をぶった切るみたいに授業開始のベルが鳴る。大音量で響いたそれは、まるで俺達には関係ないみたいにそのまま聞き流した。そういえばギルが来ないなァ、そんなことを考えた。
「そういえばギルが来ぉへんな」
「同じこと思ってた。もう来ないんじゃない?」
さっき鳴ったのと同じ小さい機械音がまた鳴る。またメール。きっとクラスの女子からの「授業来ないの?」とかそんな感じだろう。そういうちょっとした隙を付いて、かわいそうな女の子達はアントーニョの気を引こうとメールをしてくるのだ。それが逆効果だとも知らずに。
今度は開いて中身を確認したアントーニョは、そのままズルズルを滑り落ちてフェンスに寄りかかって座り込んだ。
「なぁ俺ってそんな酷い?」
立っている俺からはアントーニョの黒髪しか見えなかったからどんな顔をしてるのかなんて全く分からなかったけど、なんとなく落ち込んでいるのかな?とは思ったから、一緒に座り込んであげる。
「酷くないよ」
そうしてこめかみに、触れるだけのキスをしてやる。赤ちゃんを宥めるみたいに、優しくしてあげる。それはただの親愛の情のつもりで。少し首を持ち上げて俺を見た彼は、なんとも言えない表情をしていた。もの欲しそうな、寂しそうな、でも口角を上げたとき、不覚にもそりゃコイツはモテるわな、と思った。う、かっこいい、普通に。俺ですら思うんだから女の子なんてイチコロだろうね。
「俺はフランさえ居たらええねん」
気付いたら首の後ろに回されていたらしい褐色の手に押さえられて気付いた時にはちゃんとキスしていた。反射的に口をあけてしまった俺は、というわけで普通にディープキス。ああやっちゃった、と思いながら俺も求めるようにアントーニョの肩に手を置いてしまう。舌が絡まる、唾液が流れる。まぁしょうがないよね、気持ちい、上手いな、さすがに。
唇が離れた時、少しドロッとしたアントーニョの目から見てとれる欲に驚いて、そんで少し欲情した。5限の時間の屋上、男同士で、なんて情けなくてありきたりで低俗で、なんかどうでもよくなってしまう。えろ、とアントーニョが呟いたのが聞こえた。
「フラ…
「アントーニョー?」
アントーニョの手が伸びて俺の頬に触れた瞬間、屋上のドアが開いた。反射で離れようとしたけども、現れたのは俺達が三馬鹿とか悪友とかどっかで呼ばれている所以であるもう一人の男だった。銀色の髪を靡かせて馬鹿面している。
「なにしてんだお前ら…」
「んー?イチャイチャしとったんにほんま空気よめへんわぁこのヘッポコひよこはなんでこのタイミングなん?おはよう」
「捲し立てるねぇ、おはようギル」
「はよ」
言いながらもうまるで表情の戻ったアントーニョはブレザーをパタパタと叩いて、俺に手を伸ばした。ありがと、と聞こえるか聞こえないかの大きさで声にだして俺も立ち上がる。ほんの30秒ほど前の空気なんかもうここにはない。
「お前の読みたがってた漫画全巻持ってきたけど」
「え?!ほんま?!プーちゃん大好きやで!」
「はいはい」
来いよ、教室戻ろうぜ、と不真面目なくせに授業に出るプーさんに流されてアントーニョもゆっくりとドアの方へ向かう。仕方ないから俺も向かう。
こうやって俺とアントーニョの冗談紛いの遊びは突発的に始まり突発的に終わる。たぶんプーが来なかったらもっとやってた。でも別にしたかったわけじゃないし、と慰めて煙草をまた一本、銜えて火をつけようとした。
「なぁフラン、あとな」
「なーに」
「煙草やめへん?苦いわぁ、口ん中」
言って俺の唇から煙草を奪う。そしてプーのもとへパタパタと走って行った。言葉が出なくて動きが止まった。えろい。なんなのこの男。ハマる女の子もそりゃ増える。そして振り向いたアンはまた満面の笑みで、顔真っ赤やでーとかなんとか叫びながら階段を下りていく。翻弄されそう。
持っていた煙草の箱を握りつぶして、俺も2人を追う。