密室犯罪
「なんでかなあ…?」
呟いてみても、疑問は氷解しない。
「おーい、死神ー。おまえさんの探してた本って、これじゃなかったか?」
「ああそう、これだ。よく見つけたな、グレート」
「たまたま、ね。代金は別にいいや。こんど酒おごってくれれば」
「そっちのが高くつきそうじゃないか…とにかく、ダンケ」
ジョーの目下の疑問となっている二人は、なんでもない顔をしてこうしたやりとりを日々、くりかえしている。
そもそも不思議でならないのは。グレートが、ごくごく自然に、ハインリヒを「死神」呼ばわりしてはばからないことなのだ。
BGから逃げ出すとき、確かに自己紹介まがいのことはやった。みんなの”あだ名”も教えてもらった。
だが、その”あだ名”はそう紹介していた当人たちでさえ、互いを呼び合うのにも、ほとんど使わなかった。
たとえばピュンマに対して「マーメイド」なんて呼びかけたりしないし、ジェットは…本名がジェットだった。
ハインリヒは、仲間内で最も生身の部分が少ない、まさに生きる兵器だ。そのことは仲間たちももちろん
承知で、本人がそれを忌み嫌っていることもわかっている。だが始末の悪いことに、彼は自虐的に、皮肉
めいた笑みを浮かべ、さまざまな場面で、自分が兵器であることを強調する。自分のせいで(と彼は思って
いる)不幸にも亡くなった恋人を、もう体温のある手で永遠に抱けない、これは罰なのだとでも言いたげに。
彼の”あだ名”は、不吉すぎる二つ名だった。
そんなハインリヒに、臆しもせず「死神」と呼びかける仲間の一人。
グレートは、いつだって陽気に話しかける。
「死神、昨日のTVのはなしだけど」
「これはこれは死神どの。わたくしめにもモーニングティーを御馳走して下さるとは光栄」
「死神ー」
こんな具合だ。
呼ばれたハインリヒはといえば、これまた特に動揺もせず、怒りもせず。例の皮肉っぽい笑みも浮かべず。
死神、なんて呼ばれたくないんじゃないかな?ジョーはそう思う。他の仲間をこっそり観察してみれば、
やはり誰一人そう呼ぼうとはしないし、グレートが呼びかけるたびに、ちょっとビクッと(あくまでほんの少し)
気になってはいるようだ。
別に、グレートはハインリヒを死神としか呼ばないのではもちろん、ない。名前で呼ぶ時も、戦闘中なら
ナンバー呼びのときだってある。だが、頻度は高いのだ。ジョーはこうも思う。まだ、ナンバーで呼ぶ方が
かどが立たないような気がするんだけど…それもまあ、これだけの時間すごしてきたんだから不自然では
あるけれど。
いつ逆鱗に触れるか。多少ハラハラしながら、今日まで見守ってきたのだが。
「気に入ってる、わけじゃないよなあ?」
気になる。大いに気になる。いっそ、ハインリヒに直接訊いて…いやダメだ。それこそ口をきいてもらえなく
なるかもしれない。 かといって仲間たちにきいてまわるのも、話をおおごとにしそうで困る。やはり、もう
一人の当事者―というよりは原因といった方が近いか―にきくしかないか。
意を決したジョーはさっそく、鼻歌を歌いながら午後の紅茶を淹れているグレートにおずおずと近寄った。
「グレート、ちょっといいかな?」
「ん?おまえさんも飲むかい?」
「ああ、うん。ありがとう。…あの、さ。ハインリヒのことなんだけど」
「死神どのがどうか?」こぽこぽ。ポットの茶葉にいきおいよく熱湯をそそぎながら、禿頭のカメレオンは
視線をジョーによこす。
「その『死神』なんだけど。なんで君は、ハインリヒをことさらそう呼ぶのかなって」
言ってしまってから、まずかったかなとジョーは目を泳がせた。グレートは意に介さず、おいしい紅茶を
淹れるため、時間を正確にはかっている。時計を見つめながら、
「別に?呼びたいから。なんか変か?」おかしなこときくなあ、とまるで問題にしない。
「変ていうか、さ。ほら…あんまりいい印象じゃないだろう?その言葉。彼も、ずいぶん自虐的に使ってるし。その…よくぎくしゃくしないなって、感心してるんだけど」素直な感想。
「んー。まあ、おまえさんがたには、そう映るのか」暗に、他の仲間も少なからずそう思っているらしいことを
気づいている様子で、グレートは頷いてみせた。温めておいたカップに、丁寧に茶葉を漉しながら香り高い
茶をそそぐ。どうも事態を軽くみているグレートに、なにやら正義感のようなものがはたらいて、ジョーは
少し語気荒く言い返す。
「平和な日常に、戦場を思い出させるようなことわざわざ口にしない方がいいと、思うんだ」
今まで笑っていたグレートが、…やはり、嗤った。
「…おれたちが兵器であることを、忘れろって?」口の端を、ニヤリと歪ませる。
「『死神』どのにも、わざわざそう言ってやるかい?」
ぞくりと、ジョーの背筋が冷えた。たったいまグレートが口にしたその二つ名は、今までハインリヒに向けられ
ていた声音と違いすぎる。低く冷たく。触れるには禁忌な言葉。
ジョーがかすかに震えているのをみてとると、グレートはまたもとの陽気さを表に出す。
「すまん。いじめちまったか。でもなあ、わからないんだよ、ほんとに」
カップをお盆にのせて、台所から居間へと移動するグレートに合わせてジョーも歩く。
「あいつが怒ったら、やめるよ」テーブルに紅茶を置いた。
「おーい、フランソワーズ!死神ぃー!お茶、はいったぜ!」庭で洗濯物をとりこんでいる二人に声をかけ、
ジョーに向き直ると、
「なんなら、おまえさん、きいてみろよ。あいつに。なんでいやがらないのかって」
「い、いやだよ!無理!ぜったい無理!」
ぶんぶんと首を振り、全身で無理!と訴えるジョーに今度は困ったように笑って、
「なら、おれだっていやだよ」
ほんと、この年になってもわからないことだらけだよ。と、若人の耳にささやいた。
かくして、ジョーの疑問は疑問のまま、また日常は繰り返す。
end.