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月を捨てたかぐや姫の話

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 君だけは、どこにもあげない。





「俺な、時々、お前を月に盗られちまうんじゃねぇか、って、思う時がある。」



 緩く身体を拘束する男の腕を甘受していた少年は、耳に吹き込まれた低音に見ていた教科書から視線を上げて後ろを見上げようとした。
 だがそれより数瞬早く、男は少年の肩口に顔を埋めてしまう。
 少年の視界に入るのは艶やかに輝く金糸だ。蛍光灯の明りが反射して更に瞬いている。
 はぁ、と零される吐息は少年の背に当たるので、少年は何とも言えない気持ちになる。

「えっと、静雄さん?」

 少年は青年の言葉を汲もうとして考えを巡らせたが、相手は時折、酷く直感的に言葉を紡ぐので、そこに至るまでの思考の過程が全く見当たらない事も少なくない。
 今回もどう言った事が発端でどう言った回路を辿ったのか、そもそもにして発言の意味自体が分りかねる。

「僕が・・・月?」

「お前が、月から来た使いとやらに連れられて、月に帰っちまうんじゃないか、って。」

 青年、静雄の言葉に思い当たる節を見出し、少年は小さく首を縦に動かす。

「あっ、あぁ、竹取物語ですか。」

「? かぐや姫だろ?」

「だからそれが竹取・・・いえ、良いです。そうです、かぐや姫です。」

 だが、竹取物語へと話が繋がったとしても、少年は首を傾げずにはいられない。

「いや・・・僕、男ですよ?」

「知ってる。・・・そうじゃなくて、な。」

 言い淀み、静雄は少年の薄い腹に回した両の腕に力を込めた。
 静雄にとって、無意識に力を使う事は大変恐ろしい事だ。自身の怪力を自覚しているからこそ、込めた力をコントロール出来ない時は、何を壊すか分かったものではない。
 取り分け今静雄が最も恐れている事は、眼前の少年をそうした自身の悪癖により潰してしまう事だった。
 小さく白い手を取って離さず繋いでいられたらその様な想いは生まれないだろうとは思えど、静雄にはそれが出来ない。
 少年なら笑って許しそうだが、赦される事が怖いのだと、少年は自覚しない。
 許しを与える事が、双方どう言った禍根を残す事となるか、分かる日は来ないのだろうなと、静雄は思っていた。


 そろり、と、躊躇う様な仕草で静雄の髪が撫でられる。
 黙ってしまった静雄を心配して、少年は大きな子どもをあやした。
 言いたくないなら良いんですよ、と、語っている雰囲気を、甘えそうになる自身の心を抑え付けて静雄は小さく深呼吸する。
 言ってしまったら本当になってしまいそうで、それを考える事すら、本当はしたくないのだ。

「あのな、お前が、俺の前から、居なくなるんじゃないか、って、何時も、思ってんだよ。」



 物理的にしろ、精神的にしろ。
 静雄には、もう、少年の居ない日常と言うものが考えられなくなっていた。
 自分の周囲の環境も考慮して、離れた方が良いのだと、悩んだ事もある。
 決断の手前までして、何時もそれを放棄してしまうのだ。
 少年の、笑顔が、優しい手が、手放せない。
 だから、付き纏う不安は、消える事が無い。
 静雄から離れられないから、少年に自分の下を去って貰うしかない。
 その時になってみなければ分からないけれど、もしかしたら少年の事を殺してしまうかもしれない。
 そうした狂気を孕んだ心が、静雄の良心と良識を蝕んでいく。
 人外の能力に、人並みの心。アンバランスな精神と肉体は、青年を実に人間らしく象っていた。



 沈黙が、部屋に落ちる。
 何を言うべきか、悩んで口籠らせていた静雄を呼ぶ少年の声が、耳を擽った。

「静雄さん、顔を上げて下さい。」

 言われるが儘面を上げると、目の前に両手を差し出す少年の姿がある。

「みか、ど?」

「はい、どうぞ。」

 ふんわりと、浮かべる笑顔は変わらないが、行動の理由が分からない。
 首を傾げる静雄を愛しげに見詰めて、少年、帝人は、緩んだ静雄の腕の中で身体を反転させると、青年と向かい合わせの体を取り、再度、両手を差し出した。

「何して・・・」

「静雄さん、僕、貴方の傍に居ますよ、って何時も言ってますよね?」

 その言葉に責める様な色は無いが、信じられないのか、と問われている様な気がして、情けなくも眉を下げた。

「あっ、その・・・」

「ふふっ、良いんですよ。別に怒ってる訳じゃないですから。」

 静雄の内心を見抜いて、帝人はくすりと漏らす。
 そして、両手を伸ばすと、そのまま静雄の首に腕を巻き付けた。
 帝人の行動に驚いた静雄は、一瞬思考行動の全てを止める。しかし、不安定な体勢を取らせていると慌てて背中を支えた。

「僕は本心で言ってます。でも、言葉だけだとやっぱり、完全に信じきるのは難しいんだって、分かってます。」

 だから、ね。
 密着した身体から、互いの鼓動を感じ取る。
 融け合って1つになった鼓動が、同じスピードで刻まれていた。

「僕も考えたんです。どうしたら、貴方を不安にさせずに、いられるか。
 どうでしょう、静雄さん、僕に手錠を掛けますか?
 そうすれば、僕はずっと、貴方の傍に居る事が出来るんですよ。」

 甘美な誘惑が、甘い声で、静雄の鼓膜を刺激する。
 クラリと眩んだ視界を必死で振り切り、静雄は抱く腕に力を込めた。





 心に掛けられた手錠に、気付くのは何時だろう?



 気付く必要は無いよと、悪魔が囁いた。



作品名:月を捨てたかぐや姫の話 作家名:Kake-rA