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さとやちで指を舐める

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「あ」
「どうしたの佐藤君?」
「なんでもない」
「……大変! 血が出てるじゃない!」

 高校生組の賄いの仕込みに野菜を切っていた俺は、慣れに任せて無意識だったのが災いしたのか指先を切ってしまった。
 怪我自体はどれだけ慣れたキッチンスタッフでもするものだし、俺も慣れていたから簡単に止血でもしようと傷口を眺めていたところを八千代に見つかってしまった。
 こいつが関わってくるとピーチクパーチク騒ぐから出来れば穏便に済ませたかったんだが、時すでに遅しか。

「大丈夫だからいちいち来なくていい」
「駄目よ。傷口からばい菌が入っちゃうし食べ物を扱っているんだから。ほら、傷口を見せて?」
「わかったよ」

 いつもなら傷を確認した後は水で流して適当に水気を取って絆創膏を貼るくらいなんだが、今回もそんなもんだろうと思う。
 俺の指先を深刻そうな顔で見詰める八千代。
 好きな奴に心配されて悪い気はしないが、指が落ちるほど深く切ったわけじゃないし、お前が原因でもないんだからそこまで思い詰めた顔はしなくてもいいだろ。

「八千代。気は済んだか?」
「……えい!」

 放っておいたらそのまま何時間でも指を見ていそうな八千代に痺れを切らした俺は、努めて冷静に声を掛けた。
 いい加減にしないとオーダーやら何やらが入ってくるし、賄いもタダで作っているんじゃないからみんなに悪い。
 やがて、何かを決心したような顔で八千代は……俺の指を咥えた。

「……は? お、おい! お前何してんだ!」
「だっふぇ、ゆひさひのきふにふぁ、ふぉれがいひふぁんらから……」
「咥えながら喋るな! 取り合えず放せ!」
「んん、ふぁい。どう? 治った?」
「いや……そういう問題じゃねーだろ」

 いきなりの展開に頭がついていかない俺は一瞬戸惑うも理性が何とか打ち勝ち、八千代にすぐさま止めるよう求めた。
 これだけの事をしておいて傷は治った? じゃないだろ。何とも思わねえのか!?
 俺はさっきから動悸が治まりそうにねえんだよ!

「悪りい。休憩室行ってくる」
「わ、私も……」
「いいから残れ」
「この途中のは……?」
「高校生組に訊いて急ぎだったら小鳥遊にやらせろ。あいつなら適当に上手くやれるだろ」
「オーダーが入ってきたら……?」
「まわらなくなってきたら呼んでくれ」
「あの……やっぱり私も……」
「いい」

 自分が何をしでかしたかよく理解出来ていない様子の八千代に気付かれない内に、休憩室に移動して呼吸を整えたい一心で質問を切り上げていく。
 その途中で雰囲気を察したのかおろおろとし出したが、それに構っていられるほど余裕はない。
 一刻も早く煙草を吸って落ち着きたかったからな。



***************



 休憩室に入って椅子に座り、煙草に火を点けて大きめに吸い込んで一息。
 まだ僅かに手が震えていて冷たい。情けねえな。
 ふと、煙草を持っている指と反対側の、八千代が咥えていた傷の有る方の指を、灯りで透かすように上に持ってきて見上げて眺めてみる。

 その指は八千代が咥えた後、特に拭いたりもしていない、そのままの状態。
 血が止まっているところを見ると、ガキの頃から不思議だった唾液の有効性が働いているみたいだ。
 そのまま煙草をふかしつつ、そう言えば煙草の葉は止血作用があるんだったか、かなり痛いらしいが等と考えながら眺めていると、ある事に気が付いてしまった。
 
 この指、八千代の唾液が付いたままだよな……?
 拭いた覚えはないし、何かに使った覚えもない。怪我をしているからと片手で煙草を出して、片手でライターを使って、片手で椅子を引いたはずだ。
 どうすんだよこれ。気付いてしまったらずっと意識してしまうじゃねえか。
 いやいや、舐めようなんて思ってないぞ。いくら何でも変態だろ。
 おかしな葛藤と闘っていると、やがてジリジリと煙草が指元まで燃えていて熱い事に気が付き、我に返った。

「戻るか」

 一人呟いて灰皿で煙草の火を消し、唾液を拭こうとティッシュに手を伸ばしかけた時、八千代が呼びに来た。

「さとーくーん、こっち戻ってもらえるかしら?」
「今戻ろうと思っていたところだ」
「あの、さっきはごめんなさい。唾で汚れたままだったわよね?」

 そっちかよ。指を咥える事には特に何もないのか。
 おかげ様で血も止まって変な気分まで催していたところだ。
 ティッシュに伸ばしかけていた手を引っ込めると椅子から立ち上がり、八千代から見えない角度でキッチン服で指を拭き、一緒に歩き出す。

「血も止まったしもういいから」
「それなら良いんだけど……」

 自分が何をしたかは解らないが、何か気の障る事をしてしまったんだと思っているんだろうな。
 その通りと言えばその通りだが、かと言って先ほどの八千代の行動を諌めるほど小恥ずかしい事もない。
 指を切る毎にこの思いをするのも体に悪いからやんわりと伝えておこう。

「お前の唾が汚いわけじゃない」
「え? ……うん」
「だから今度からは消毒液をぶっ掛けて絆創膏を貼ってくれ」
「……うん! わかったわ!」

 何とか悟られずに希望を伝える事が出来た。
 指の痛みも殆ど引いたし、今から夕食時だから気合を入れていくか。
 安心した俺はそう考えながら通路からキッチンの入口に差し掛かった時、隣の八千代が声を掛けてきた。

「今からは気をつけてね」
「充分に気をつけるからお前も気をつけろよ」
「ふふふ」
「何がおかしいんだ?」

 そこで少しいたずらっぽく笑った八千代は、訝しがる俺により近くに寄ってきて誰にも聞こえないように囁いた。
 もしかするとこいつは全部わかっててやったんじゃないかとさえ思うような事を。


「私が怪我をしたらさとーくんが舐めてね」



 その日から生殺し世界一の鳥頭が怪我をしないように何故か俺が気をつけるようになったのは言うまでもない。


作品名:さとやちで指を舐める 作家名:ひさと翼