Name
いつのことだったか、イギリスと出会って、その傘下にあった頃。はっきりと思いだせないながらも印象に深く残っていることがある。
そもそもの始まりは単純な疑問だった。
国としての自分と、国民として生きる人間達との違いはなんだろうか――。
見た目は何も変わらないし、睡眠欲も食欲もあった。敢えて特筆するなら少々自分が怪力なくらいか。
兎に角、精神的にも肉体的にも――国がそう言っていいのかわからないが――俺がまだ未熟だったということは確実だ。何せ俺はイギリスにこう言ったのだから。
***
「イギリス、俺も名前が欲しいんだぞ!」
あの時のイギリスの顔、今でもよく覚えてる。
目をパチクリ瞬かせて、あの特徴的な眉毛をちょっと下げながら薄く微笑んだのだ。
「何言ってんだ、アメリカって名前があるだろ?」
その日は確か雨だったと思う。俺達はいつも通り二人きりでテーブルを囲み、あの料理を平らげていた。
その席での俺の一言は何とも滑稽だったことだろう。
「でも、それは国の名前なんだぞ。マイクとかジョンとか、俺はそういう名前が欲しいんだぞ!」
子どもが駄々を捏ねるが如く、俺は彼にそう強請った。流石のイギリスも困り切っただろう。所詮俺は国で、アメリカでしかないのだから。
「アメリカ、俺達は人間じゃない。国名は俺達にとって大切なものなんだからそういう事を安易に言っちゃ駄目だ」
彼の言い分は尤もだった。
愛すべき国土、愛すべき国民、それらの象徴なのだから一個人としての自我など無いも同然だ。けれどこうして欲を持ち、言葉を操り、星を読むことが出来るのは何故だろうか。
残念ながら、数百年の時を経てもわからない。数千年を生きているという中国や、俺よりうんと爺さんの日本に聞いても恐らくはわからないだろう。
もし、わかる時が来るとすれば――それは俺が国として死ぬ時だと思う。
「それでも欲しいんだぞ!」
「お前なぁ、いい加減にしないと流石の俺も怒るぞ?」
はぁ、と溜息を吐きながら僅かに怒気を孕むイギリスの声に、当時の俺はビクリとしたものだ。
世界を知らない弱小国アメリカは、世界の七つの海を股にかける大英帝国イギリスに、歯向かうことなど出来やしない。弟のように可愛がってくれた反面、その裏では植民地という名の贄にされていたのだから。
「…………」
俺は何かを言いかけて口を開き、何度もパクパクさせた。
自分でも何を言いたいのかわからなかったが、きっとイギリスはわかっていたと思う。悔しいことに、彼ほど俺のことをわかっている奴はいない。過去に置いても今に置いても、そしてこれから訪れる未来に置いても、だ。
けれど俺は知っている。
きっと俺が思っている以上に悔しいことには――彼もまた、俺には格別甘いのだ。
「…わかった、わかったから、今にも泣きそうな目で俺を見ないでくれ」
大きく息を吐きながらも、イギリスはどこか嬉しそうだった。理由はわからないし、きっと教えてくれることはないだろう。
彼はナイフとフォークを置き、行儀良く座っていた俺をじっと見つめた後、呟いた。
「…フレッド」
「え?」
「アルフレッド。お前の名前だ」
兄の顔をしたイギリスの目はとても優しい。透き通るそのグリーンの瞳ははキラキラしていて、まるで翡翠かエメラルドのようだ。
けれどそのグリーンは、カナダに生い茂る楓の木の緑でも、イタリアに臨むアドリア海の碧でもなく、ましてやスペインが大切に育てているオリーブの色でもない。この地球上のどのものに喩えてもその色は表現出来ないだろう。
それでも敢えて言うならば――命の色。
生命そのものを体言化したような、美しくも儚い、力強さのある色だ。
その目を細めて、イギリスは俺に名前を与えてくれた。
「ある、ふれっど」
「そうだ。愛称はアルとかフレッドとか……お前はまだ小さいから、そうだな……――」
俺が幾度も名前を呟いていると、イギリスは立ち上がるなり席を離れて、俺を抱き上げた。
「小さなフレディ、名前はお気に召したかな?」
悪戯っぽく微笑むイギリスに、俺はパッと笑いなが何度もと頷いた。
「俺は、俺の名前は、アルフレッド!」
アルフレッド。俺の名前。
その時の興奮と歓喜とが混ざった不思議な高揚感は、語彙が増えた今でさえ言葉に出来ない。
憧れていたものが手に入った喜び。
そして何よりもイギリスが与えてくれたという事実が何よりも嬉しかった。